.合宿中に「3 年後に流行るぞ」とか言っていたら、 やあ 3 から具象化せよ、とのお達しが。 .とりあえずマスコットキャラクタなのだが、 そのままの設定(←?)だと版権(←?)がやばそうなので、 いろいろ考えてみる。とりあえず、髪飾りを着けたらどうだろう、 という感じで妄想したら、はにゃーんになってしまって大弱り(←謎)。 .ちなみに、「ふにゅ〜」というのは万能感嘆詞なのだが、 バリエーションとしては、
など、声優泣かせの演じ分けが必要に。 .リファレンスボイス(ただし女性の声に限る)ならびに リファレンス妹(ただし女性に限る)の contribution は AoiMoe@imou.to までどしどしと。 |
.動かなくて悩む。 .libsocks5_sh.so では、gethostbyname/gethostbyname2 で libresove を dlopen しないようにしないと名前解決できない。 .PM3 for NetBSD の struct_sockaddr_in が間違っとるやん。 .suplib/src/m3makefile をいじって、NetBSD でも suplib/src/FreeBSD を 使うようにしてみる。ついでに、suplib/src/FreeBSD/UProcTitle.c も ごにょる。 .動いた :D |
.そうですな 。 最近は「おせっかいはしない方が良い」立場に傾きつつある私。 小さな親切は往々にしておせっかいでしかない。 .rune is evil っていう指摘は、そういう「小さな親切」なんですな。 私は「rune is evil という『事実』を教えてあげるなんて、 なんてみのうらさんは親切な人なんだ」 と思ったもん。そこに『理由』を添えるのは、 もはや大きな親切の領域だとも思う。 これは私が fj 文化に毒されてるだけかもしれない。 で、多くの人は往々にして、 私にとっての「大きな親切」しか親切と感じないのだね。 悲しいかな結局、小さな親切は害だから放置プレイがよい、ということになる。 .ちなみに、rune がダメな点ってのは、 「rune が 4.4BSD に入ったのは 90 年代初頭のことで、 とどのつまり ISO C:1990 の不満解消が rune への期待だった訳だが、 それは ISO C:1995 で解消してしまった」 「rune は codeset handler でしかないから国際化という観点だと不十分。 つまり、rune が rune である以上、どこまでいっても locale の中の狭い部分領域をカバーしているに過ぎない。 ちょうど、Unicode それそのものでは国際化にならないのと同じこと。 どうも Plan9 の連中も、その辺あまり分かってなかったように見える」 「もはや ISO C:1995 や XPG/5 という、標準的かつ rune 以上の機能がある API セットがあるのに、それなりに影響力のある FreeBSD プラットフォームが rune をなしくずしに使うのは害悪でしかない」 ってことかのう。 |
.どうも、malloc が「recursive call」を吐いて死んでくれるので、 ちゃんと lock せんといかんな。 .libc の malloc.c を pm3/libs/m3core/src/runtime/NetBSDi386 に コピーして、こんな感じの修正をするにょ: .スピンロックの使い方がすんごくいんちきくさいけど、 include file 眺めた感じでは、 少なくとも NetBSD/i386 では動く模様。 .ふにゅ〜、刺さったにょ…。誰かがどっかで preemption しとるんではないのか? 突然刺さるから、あまり signal とは考えにくいのだが。 .頭にきたにょ: |
.perl は自前の regex ライブラリ、 ruby は GNU regex をつかってますね。 .それは 、 「C 言語がダサい」と言ってるのとあまり変わらないような。 C 言語がダサいかどうかは置いておいて、 C 言語のライブラリとしてはそんなにバランス悪くないと思います。 少なくとも、あれに加えて「コンパイルとマッチングを同時にやる関数」 を用意するのは、カーニハンが戒めるところの 「冗長なインターフェース」だと思う。 .まあ、一からインターフェース作り直すなら、 「コンパイル」をもうちょい隠蔽化できそうな気もするけど、 でも C 言語だったらどっちにしろあまり変わらないと思うなぁ。 |
.段落リンクの話 。 ぱぱんださんは単に段落リンクを「啓蒙」しようとしただけなのに、 それに対して一部の人が「善悪基準を押しつけられた」 と思って感情的反応してるだけにみえる。 .啓蒙ってのは「うれしさに気づいてない人」に対して行われているものであって、 「それをうれしいと思わない人」や 「うれしさに気づいてるけどあえてそうしてない人」 は胸を張っていればいいだけだと思うのだが。 ぱぱんださんの主張は、誰がどううれしいか明確だし、 それに対して利害の衝突があれば自信をもって反論すればいいんだけど、 実際にはそうではなくて単なる FUD だと思う。 つまり「そういう啓蒙そのものがうれしくない」という明確な反論でないかぎり、 啓蒙に対する反対にはならんのだが、そういう反論をしてるようには見えない。 .似たような話だと、ぼそっと「ソース公開してくれたらうれしいな」 とか言うと感情的な反応を返してくる Windows 文化な人々とか。 あるいは、反 Unicode も、ともすればこういう傾向に陥りがちなのだけどね。 |
.new しなおすオーバヘッドを気にしない のがなんとなく C++ 流。 realloc でも、増やす場合にはあまり変わらないし。 まあ、せいぜい「減らしたい時に減らさない」くらいかのう…。 まあ、malloc にしろ new にしろ、 ある一定のスケールを超えたら使いものにならなくなるし、 それ以下ならあまり気にしてもしょうがないかも。 .libg++ の string クラスとか vector クラスの実装見ると、参考になるかも。 |
.inetd が listen してます 。 inetd.conf に書いてあるサービスの数だけ socket 作って、 それぞれローカルアドレス bind して listen しておいてから fdset 作って select で待つ。 接続要求が来れば select がプロセスに制御返すからそこで accept 。 |
.誤読したのは言うまでもない 。 Condomania とかは、ある意味博物館。 |
.「全然わからない」ってセンスが全然わからない :D 。 彼らのセンスだと、たとえば油絵を右から左に転売したら頒布になるのかのう。 東京高裁の判断は、極めて公序良俗に従った判断だと思うぞ。 著作物としてのソフトウェアの性質と、製品としてのソフトウェアの性質は、 もはや独立のものとして扱うのが常識的な判断だと思う。 「利用権」に対して金を払ったんだから、 その後その権利を転売しようが何しようが、 もはや著作権者にとやかく言う権利は無い(つまり販売時にその権利が消尽する)、 というのが極めて常識的ではないのか? .音楽屋といいゲーム屋といい、いいかげんわけのわからんドミノ理論 *1で消費者の権利を不当に削ぐのはやめたらどうかのう。 |
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.昼飯食べようと思って会社を出たが、 気づくとアキバのガード下で春盛り天丼。 ついでにお買い物(あくまでもついで)。CD を 2 枚。 .買った CD は、「『スパークル』ギターミュージックコレクション」という コンピものと、「The power of the string / Paul Jackson Jr.」(輸入盤)。 両方ギターやね。 前者は選曲渋すぎるので買うしか。 どうも両方とも時代は ES-335 という感じだな、うん(←いつの時代だよ)。 .ぢゃあ次は 6 弦ベース買うしか 。 楽器館 6F で Moon の 6 弦定価 32 万が中古 17 万とお買い得でしたよ。 .うろうろしてたらマップ MIDI 館で SC-8850 中古が大量に 45000 円だったので 一瞬敗北しそうになったがこらえた。 .あと本を一冊買った。「Exceptional C++」。なかなかおもろい。 |
.Blossom です 。 あの地獄の Video-CD である C3B (Card Captor Cherry Blossom) に 由来してますな。多分まだ GORRY さんちに不法投棄されてるので見るしか。 |
.今回の件でのぱぱんだキャンペーンへの反対意見っていうのは、 PTA のおばちゃんたちが弄するような二分法ドミノ理論なんよね…。 もっとわかりやすく言えば、 「携帯電話が普及するとマナーが悪くなるから携帯電話普及活動は悪である」 みたいな理論。 誤解をおそれずに言えば、善意の(=弄してる人間が気づいてない)詭弁。 こういう理屈に対する大人社会での対策は、あらかじめ 「携帯電話を使う時は、マナーに注意して使いましょう」 と広告に書くことだったりするんだな。 .でも、この種の詭弁の罠に陥ると、 非常に危険な思想にも発展しかねないことが歴史的に証明されてる。 この罠には、思いこみが激しくて真面目な人ほどほど陥りやすい。 つまりいい人なんですな。 そういう気質自体は悪くないし、むしろ良い。 少なくとも、私みたいな日々いきあたりばったりに生きて 他人に毒をふりまいてるようなヤクザもんにはそういう気質は無い。 で、それがいい方向に働けば良いのだけど、 悪い方向に働くとこうなってしまう。 .どんな善悪基準を持つのも各自の自由なので、 たとえ 「携帯電話が普及するとマナーが悪くなるから携帯電話普及活動は悪である」 みたいな善悪基準を持った人がいても、 そのことを他人にとやかく言える筋合いのものではない。 でも、ハイパーリンク使ってそういうような類いの主張をすれば、 結局はリンク対象に対して自己の善悪基準を押しつけてるだけだし、 そういうハイパーリンクの使い方は、 結局ぱぱんだキャンペーン反対派の言うところの段落リンクの害で 忌まれているリンクの仕方そのものと、本質的に違わないと思う。 その上、ご丁寧に、まだ見ぬアカの他人の未来の気持ちまで心配するのは、 単なる尊大以外の何者でもないんではないかのう。 .私が多くの場合に感情論を排するのは、 そういう感情に対する理解がないわけでも想像力がないわけでもなくて、 単に公の場で何かをいう時の中立性を保つための一定の指針なのね。 感情論を一般化して適用してしまうと、大抵の場合は単なる尊大にしかならん。 それに、感情論に正面から対抗できるのは結局感情論しかあり得なくて、 そういうフェーズに落ちると単なるエゴのぶつかり合いでしかないから、 どっちかが引くまで終わらない。そんなのは単なる喧嘩。 .まあ、本質的にはいい気質なのです。 ただ、もうちょっと視野を広げてもらえると、 みんなが幸せになるでしょう。たぶん。 .補足。尊大だときつければ、「善意の(=本人が気づいてない)尊大」あるいは もっと簡単に「おせっかい」かな。 .まあ、今回の件は、私はぱぱんださんに同情しちゃうな…。 こういう場合は、 「正常な議論ができないと悟った時点で (明示的あるいは暗示的に)議論を打ち切る」 しかないです。相手を論破しても感情論で対抗しても、 不毛でしかない。キレると損、というのはそういうことです。 .「善意」について補足しておこうかな。ここでいう「善意」ってのは、 法律用語的な「善意」でして、単に「悪意がない」という意味です。 一方で、「段落リンクで悲しい目を見るかもしれない」という危惧は 「善意」からのものですが、 この「善意(良心)」は、上の文脈での「善意(悪意がない)」とは違います。 .良心か…。 「良心から行動を起こす時こそ、一番注意しないといけない」 と、先達は言っております。誰だったかは忘れた。 .ああ、 うっかり「悪意」について触れてなかった。 「悪意がある」とは「知ってて行う」ことなので、 その対偶を取れば「悪意がない」とは「知らずに行う」となる。 まとめると、 「善意とは、ある要素を知らないことであり、悪意とはそれを知ってること」 であって、一般的な意味での「善意悪意」という意味からは乖離してる、 ということを言いたかったわけです。 |
.DDA の一種の Bresenham アルゴリズム 。 ミソはかけ算も割り算も不要なところ。 私も DDA や Bresenham アルゴリズムはいろんな場面で使ったし今でも使う。 もちろん、直線を書くために使うわけではないけど、 高速な線形補間はいろんな場面で必要になるのであった。 .こーゆーのを教える、というのも、 プログラミング教育では重要だと思うのだが… .うーん 、 Bresenham アルゴリズムが不正確になるとすれば、 剰余(件のソースでは de)の初期値に dx/2 ではなくて 0 とか dx 入れてる場合ですかのう…。 ちなみに、このアルゴリズムは C よりアセンブラでうれしい。 de から dy 引いた時に、carry が立つのね。 .ちなみに、円を書くアルゴリズムのほうも Bresenham が考案したものです :D |
.今回の件でハタから見てて興味深かったのは、 「ぱぱんださんの最初の意図を周囲がどんどん拡大解釈して行ってる様子」 かな。 たとえば、いつのまにかぱぱんださんは 段落アンカーにこだわる 人になってるし(ごめんねこんなリンクの張りかたして)。 最初の文章 はこだわってるようには全く見えないのにね。 .これはどういうことかというと、 づの人が「実は私は実際の部分のほとんどを実際には見てなくてその周りの 意見を見てるだけ」と書いてることからわかるとおり、 論議の中で細かいすり替えが行われていって、 いつのまにかハタからは「ぱぱんださん=段落アンカーにこだわる人」 というように見えちゃってるわけですね。 論議の中では、ぱぱんださんはそれを感じ取って、 繰り返し「強制してるわけではない」旨のことを言ってる。 でも、それがまったくもって無力だったのが、 ある種の示唆を秘めてる気がしないでもない。 上でも書いたとおり、この手のスパイラルに陥りそうになったら、 早めに気づいて論議を打ち切るのがやっぱり最善だし、 その程度の判断をできるくらいの余裕は必要なんでしょうね。 .で、私はそういう意味で、 周囲の拡大解釈からぱぱんださんが悪人になってしまったような 雰囲気があるのが、非常に気の毒なんですな。 もちろん、キレちゃったぱぱんださんの、 「キレちゃった」という行為は責められても仕方がないけど、 ぱぱんださんに非があったとすればそこだけだと思う。 まあ、百歩譲って、 その非を以ってぱぱんださんが悪人なのだとしよう(ごめんね)。 でも、その「非」と「キャンペーン」は本来別個なのに、 一部の人はその二つを相殺してたりする気がするのはなんだかなぁ、と思うぞ。 .興味深いことに、 今回の議論がリンクを以って行われたことを考えれば、 これはとりもなおさず、「そういう細かい拡大解釈の積み重ねの恐さ」と 「(段落)リンクの恐さ」というのは決して無関係ではないことを 意味してるんですな。 GORRY さんの指摘通り 、 少なくとも、相乗効果みたいなものは確かにある。 ただ、それをもってキャンペーンの反論とするべきではないんですわ。 ここがミソ。 これって三段論法の誤用としてよく出てくる虚偽の一つなんだが、 たまたま結果としてなんとなく直感との整合性を感じてしまうため、 論法として間違ってることに気づきにくいので気をつけましょう。 .そもそもぱぱんだキャンペーンに対する最初のアクションが、 私には思いこみによる拡大解釈から始まってるように見える。 そのうえで、 「段落リンクは嫌なリンクのされ方をするから恐いよ」 という論旨を掲げながら、 (その論旨に対してメタレベルな存在である)弁論の手法として その「嫌なリンク」をしてることに対する矛盾への無自覚さ鈍感さが 滑稽ですらあったと思う。 そういう意味では、私の FUD といういいまわしも滑稽だったけどさ :D .滑稽という点では、予言者の詭弁:「私は予言する。お前は明日死ぬだろう」 という類の論法があるんだけど (もちろんその予言者が殺すってオチなんだけどね)、 全くもってそれと同じ状態を演出してるようにすらみえる点もそう。 まあ、それは結果的にそういう形になっただけであって わざとじゃないんだろうけど、率直に言って滑稽でしょう。 .少なくとも、こんな稚拙さにあふれた議論はもうたくさんだと思う。 そうなってしまったのは masaki さん一人の責任じゃないし、 もちろん私にも責任の一端があると思う。 おおよそ、今回の議論に口をはさんだ人は全員、 その責任の一端を担ってると思う。 そういう意味では「口はさみ損」な人もいたかもね。 でも、それが発言することのリスクという奴でしょうな。 そういうことに無自覚な状態で発言するのが一番よくないし、 実際にはそういう無自覚さがあふれてる、ということが、 「段落リンクは嫌なリンクのされ方をするから恐いよ」 という感情を生む根の一つなんだろうね。 糾弾されるべきは、その無自覚の方だと思う。 .こう言うと非常に尊大だけど、みんなやっぱり修行が足りないんですな。 でもそれは仕方のないことだし、修行を積めば済むことでしょうな。 ぼちぼちとね。逃げるのはあまりいいことじゃないけど、 まあ辛ければ一時的に休むのもいいっしょ。 |
.客観的にみたら、やっぱりぱぱんださんのほうが正論なので、 そう落胆することはないでしょう 。 たまたまコンサバティブな立場からの感情論に対応する際の ストラテジーを間違えただけで、 それは別にどこの世界だってある話ですわ。 次に間違えなければ良いと思う。 とりあえず、キレそうになった時の 話し相手としてアロエリーナを用意するとか、ね :-) .「生きているということは、こういう辛いことばっかりじゃないんです」。 |
.そうえば、なんとなくメロディ思い出してきた: l12 c c c e e e g4>c4 | <br a b b a b b b>cr<b | a4 .... きいてアロエリ-ナ ちょっといいにくいんだ け ど .あと忘れた。節の切れ方が小節無視してて確かに難しい(もしかしたら、 4/4 + 5/4 かも)。 誰か着メロ作ってないんかのう。 |
.割烹着のちんまい娘が延々ととうもろこしを焼く後ろ姿のビデオ 。 くうー、恵たんハァハァ… .人によっては、たいやきはむはむビデオとかもいいかもね。うぐぅ。 |
.一応 pthread 実装はリポジトリに入りました 。 モジュールは libc_r.a を使う、という手も無くはないが、 整合性取るのはそれなりに難しい。 .FreeBSD おぼえがきとセキュリティホールメモも、 右クリックで URL 取れるアンカーなり、 コピペで取れるように本文に URL 生め込まれてると 便利かなーと思う今日このごろ :D |
.うっかり en_US.UTF-2 を消した Makefile を commit してしまって itojun さんに突っ込まれる。 .UTF-2 って要は UCS2 に限定された UTF-8 なのだが もともと考案したのが Plan9 の連中で、 rune と一緒にやってきたっていう歴史的経緯が残ってるだけなんですな。 いまや、どこを見ても UTF-2 なんて名前を使ってる人はいないし、 単なる混乱の元でもあるから最初から merge しないようにした方が よかったのだが、すっかり気づかなかった上に、 merge された後に何度か気づいては忘れてた。 .んで、nl_langinfo(CODESET) 対応してる時にふと思い出して、 「次は UTF-2 なんとかしないとな」と、Makefile にツバ付けといたのだが、 うっかり commit してしまったのであった。 |
.確かに文化摩擦といえなくもないですが 、 ホントはそこまでおおげさな話じゃなくて、 「単なる個人の好みの違いの摩擦」程度の話に過ぎないと思います。 自分の好みで他人の意見に言及するときは注意しないといけないし、 逆に相手が自分の好みで意見を言ってきたら、さらりと流さないといけない。 価値観や前提条件が違うところではどうやっても議論は成り立たんのだから。 それだけだと思う。 .相手の価値観が自分のそれと同じとは限らない、 なんてことは誰でも当然のこととしてわかってると思うけど、 実際にはそれだけではなくて、 そもそも自分の価値観を相手に理解してもらうことすらも 不可能だと思っておいた方が無難だと思う。 理解させようとすれば、たいてい悲しい目にしか遭わない。 理解されると思って悲しい目に遭うより、 最初から「理解されない」と思っといた方が、ずっと気が楽よ。 ん? それも悲しいって? それは考え方次第。 .閑話休題。だから、「相手が自分の価値観を理解してくれそうにない」 と思ったらすぐに自分の価値観を相手に投げつけるのはやめないといけないし、 逆に相手が執拗に自分に対して相手の価値観を投げつけてきたら、 それは無視する方が無難。 masaki さんの失敗は、自分の価値観を安易に他人に投げたことだと思うし、 ぱぱんださんの失敗は、それを最後まで打ち返しちゃったことだと思う。 |
.あくまでも今回の裁判とは直接関係ないことを強調しておきますが、 中古業者に「違法コピー転売を助長する」ということの責任を負わせる かどうか、というのは確かに難しい問題ですね。 単純な話に置き換えると、 「殺人事件に使われた包丁を売った店に対して責任が問えるかどうか」 という類いのものだと思う。 この場合、一般的には店には責任がないという風にみられるし、 こんな馬鹿げた裁判は起こらない(少なくとも日本では)。 でも、本当に包丁を売った店に全く責任がないか、 というと、そうとも言いきれない。 それは程度と公序良俗(というあいまいなもの)に関係した問題ではある。 あと、悪意の有無も、もちろん問題になる。 まあ、刑事と民事では違うけども、それは置いておく。 .で、アメリカの Napster の裁判は、 そこで(上の包丁の例で言う)店に責任がある、という判断がされたわけですね。 まあ、これは、どう考えても「そういう利用のされ方」しかされないことなんて ミエミエだし、建前はともかく「それで稼ごうとしていた」と 思われても仕方がない部分はあるんで、 Napster の責任が問われても仕方がないと思う。 ただ、一般的には、コピーする側のモラルの問題だと思うので、 そういうのをサービスのプロバイダに責任負わせるのは酷だと思う。 .で、今回の大阪高裁の判決の非常に有意義な点は、 ソフトウェアの利用権の移行を、 消尽理論できれいに説明したことだと思う。 大量販売プロダクトとしてのソフトウェアの性質を考えれば、 非常に合理的かつ公序良俗に沿った判断だと、個人的には思う。 また、「ゲームは映画ではない」ということを明確にしたのは、 とどのつまり「(著作物としての)ゲームとは何なのか」 という司法判断なわけで、非常に意味がある。 逆に言えば、今までは「ゲームは映画ではない」というのは、 当たり前のことではなかったんですね。 それが法律というものだし、 それを明確にするのが裁判というものの意義でもある。 .私は中古業者の肩を持つつもりもないけど、 ただ、今のゲームメーカーの理屈はあまりにも独り善がりで 自分勝手だと言わざるを得ない。 彼らが主張する、中古販売を禁止しなければならないということに関する 「立派な建前」はともかく、 本音は「言うことをきかない中古流通の首根っこを押さえたい (そして利益を独占したい)」でしかないのがミエミエなんですね。 .ライセンス条項 。 ビジネスソフトだと争点になる可能性がありますが、 普通、ゲームソフトにはライセンス条項がありません。 それに、「コピーしたものの販売」に関する扱いは、 もはや明確に著作権法上の司法判断が出てるので、 もはやライセンスとは関係ないでしょう。 また、ライセンス条項というのは「利用契約」なので、 レンタルや再販に関して影響を及ぼす類いのものではありません。 いずれにしろ今回の裁判の争点は、そこではないですね。 .たとえば、たまたま手の届くところにおいてあった セガラリー 2 のケースをみると、 「当社は本ソフトの無断複製・レンタル・中古販売は一切許可しておりません」 ということが書いてあるけれども、これはライセンス条項ではなくて、 たとえば中古販売に関して言えば、 「我々には中古販売に関して頒布権がある」 という前提を(彼らが勝手に)持ってるという意識において、 「我々の頒布権を侵害するな」と警告してるに過ぎないのです。 だから、争点はやっぱり頒布権なんですね。 .さあ、最高裁はどういう結論を出すんでしょうか。 「地裁がボケて高裁がツッコミ、最高裁がオチをつける」 っていうことにならなければいいのですが :D .あと、メーカーが次に打つ手は絶対 「法整備の名にかこつけた法規制の働きかけ」 だと思う。 |