.あのシステム は、まあ遊びやすいのは遊びやすいんだが、 完全な状態遷移図にはなってないんで、途中から始めると、 図に表れてない shadow parameter で分岐が変化するんですよねぇ。 もっとも、完全な状態遷移図にすると遊びにくいのだが。 .盛夏の杜は、個人的には 10 点満点で めぐたんの割烹着の後ろ姿に 6 点、 にょシーンだけアニメーションという割り切りに爆笑ボーナスとして +2 点してしまうのだが。 .そうえば、「ラストシーン」の分岐表は、完全な状態遷移図になってますな。 あれは UI がダメなのと、 盛夏の杜みたいな「途中からやりなおし」がないから今ひとつ遊びにくいけど。 もっとも、「途中からやりなおし」があると、 盛夏の杜なみにボリュームないけど。 |
.やはり、暴走族を扱ってるセクションだけ、 お笑い系にしなければ。まず、暴走族を「珍走団」と言い換える。 その上で、大胆にもナレータに滝口順平氏を起用して、 「あらあら茶髪のお兄さん、逃げているおつもりでしょうが、 そっちにいったら袋のネズミ。ほっほ、やっぱり捕まってしまいました〜」 みたいな調子でナレーションを付けると、 トホホ感あふれるいい啓蒙番組になると思うんだが。 |
.批判のポイントを絞ったほうがいいでしょう 。 この文章 のあの段落で特に批判されるべきところは、 「OpenBSD うんぬん」の記述の荒唐無稽さだと思います。 あの記述が事実なのか間違いなのか、 OpenBSD とほとんど接点のない私にはうかがい知れないことですが、 それでも、単なる筆者の憶測なのかそれとも当事者からの伝聞なのか、 それともそれ以外なのかよくわからんことを、 あたかも客観的事実のように書いてるのが問題だってことは言える。 出自を明確にせずにああいうことを書くのは、 物書きの姿勢として無責任と言われても文句は言えまい。 .一方で、文章の本旨は一つの意見としてまあ理解できる。 別に見返りを求めてるようには見えなくて、 単に「自分の好きなようにやるのが何が悪いの?」って言ってるだけに見える。 ハッカーの姿勢として「自分の好きなようにやる」 ってのは正しいはずなんですわ。 翻訳に限らず、積極的自発的に commit するひとは確かにえらいのだけど、 積極的自発的に commit するつもりがない人を批判してはいけないってのも、 オープンソースの世界での、 それこそオープンソースって言葉ができるよりもはるかに大昔からの 紳士協定だと思う。 文書の管理で苦労してる感情的背景も十分理解できるけど、 「ただ翻訳されても我々のやり方にはそぐわないから迷惑」 とも取れるような言い方されたら、そりゃ怒る人もいるわな。 それを言ったらおしまいですよ。 私もそういう意味では Linus 氏ねとか言いたいけど我慢してるしな(ぉぃ ←たぶん冗談なので気にしないように。 だから、エッセイとしてなら、ああいう愚痴がでるのはわからんでもない。 でも、その憂さを、まったく無関係な OpenBSD で晴らしちゃいかんわな :D .ただまあ、なんというか、元の話題で ああいうこじれ方をするのは何らかのコミュニケーション不全だと思うぞ…。 双方悪意があったわけでもないと思うんだがのう。 私はしばしば「貢献教」って言い回しを揶揄に使うけど、 察するに、 ある種のオープンソースコミュニティの人間が意識的あるいは無意識的に 発している貢献教臭さ(≒押しつけがましい善意) に対するアレルギーかもしれんな。 |
.XFree86 は 3.3.x が R6.3 で 4.x が R6.4 です。 .そもそも R6.4 と R6.6 の違いって、コピーライト表示とバグフィックス、 そして X サーバの最大クライアント数が 128 から 256 に増えてるだけだったりして。R6.3 と R6.4 は結構違いますが。 .某 X の現行バージョンは R6.6 相当のバグフィックスはしてありますが、 クライアント数は増やしてません。R6.6 相当を謳うことも可能ですが、 R6.4 から本質的には何も変わってないんだからあまり深い意味はないですな。 |
.なるほど 。 ただ、「自発的にやったのにとか、良い顔をしないとか、 クレジットを消したとかいう表現が、 佐藤には見返りを求めて裏切られた人間の言うセリフに見えるのです」 というのは厳しすぎるような気はしますな。 .佐藤さんのいうような「見返り」の定義で話を進めるなら、 コミュニケーションという行為はそれそのものが見返りを求める 行為であると言い換えることができると思うのよ。 だから、自分の作ったものを公開したり、パッチを公開したり、 翻訳を公開したりする、というコミュニケーション行為そのものが 見返りを求める行動ってことさね。 もし、そういうレベルの見返りを全く求めてないんなら、 それは一切コミュニケーションしない、 という行動にしかならないはずですな。 もちろん、佐藤さんが「見返りを求めるな」 と言ってるんじゃないことも十分わかってるけど。 .で、現実的には負の見返りが返ってくることもあるし、 そういう負の見返りに対して愚痴ったり、 相手に食って掛かったりするというのはまさに 「見返りを求めて裏切られた人間の言うセリフ」 でみっともないのは確かだけど、それは果たして否定すべきことなのかなぁ。 そういう反応は人として健全だと思うし、 それを抑えられるとすれば聖人君子しかありえない。 「見返りを求めて裏切られた人間の言うセリフ」とばっさりと切り捨てるには、 あまりに世の中には聖人君子が少なすぎると思う。 .そういうわけでまあ、 聖人君子とはほど遠い我々一般人がコミュニケーションする以上は、 その「見返りを求めて裏切られた人間の言うセリフ」すらも ある程度認めないといけないし、そこの折り合いが上手くできなかったとしたら、 それはコミュニケーション不全ってことなんじゃないかのう。 .ただ、今回の話の場合、 こんなにおおげさな話を展開するほどのことでもなくて、 単に記述の不適切さだけを指摘するのが 上手い方法だったんじゃないかと思います。 それがコミュニケーションのテクニックですな。 .追記があるのでもう少しコメント 。 こう書くと単なる言葉狩りに見えるかもしれないけど別に責める意図はないんで 単なるコメントとして受け取ってもらって 次への糧にでもしていただきたいんですが、 日本語の「良い顔をされず」という言葉は 「別段喜ばず普通の顔をしている」ということを意味するのではなくて、 むしろ「嫌がられた」という意味で使われることが多いように思います。 従って、 これの意味を「spoil された」と読み手が誤解してもしょうがないでしょう。 私もそういう意味に取りました。 .また、 確かに私が見る限りもクレジットは見当たらないんですが、 これだけだとそれが「山形さんの意向を無視して勝手に消した」ことなのか、 それとも「合意の上で消された」のか、 あるいは「単に見つからないだけでどっかにクレジットされている (←私は多分これだと思う)」のか判断できないんですね。 でも、ああいう文脈で「消されて」という表現を使うと 「完全に山形さんの意向を無視して誰かが消した」 というニュアンスになってしまいます。 ちなみに、クレジット表示ってのは著作権/著作人格権にかかわるので、 単なる見返りとか、 そういう話ではすまないこともあることを注記しておきます。 .そういうところが、佐藤さんが感情的になった理由なんだと思います。 まあ、この手のことを書く時は、普段以上に表現とか事実関係の 明示に注意したほうがよい、ということでしょうな(自戒自戒)。 まあ、カッカした頭で話しても面白いことなんて何もありゃしないので、 二人とも頭を冷やしたほうがいいでしょう。 |
.結論:フェスティバー。 .ナナ。少年誌という立場上エイケンですら描画を自粛しているアレを、 入念に彩色 / トーン張りまでして描画するのはどうかと :D 。 あと、森見明日じゃないんだから巫女を剥くな(ぉ .そのエイケンであるが、 あいかわらず描画こそ自粛してても描写が 18 禁。 でも、伝助君は妄想の中ですらあんな積極性を発揮したことが無いはずなので、 今週は伝助君のアイデンティティが崩壊してるよな。 百合子ちゃん出てこないので減点(ぉぃ .ドカベンは、水島新司お得意の、 ルールブックの重箱のスミを突いたような展開やね。 |
.ううむ 。 まあ全般としてはそんなもんかな、とは思うが、 「実は、古いカーネルもちゃんとメンテナンスが行なわれています(中略) サポート終了で、反感を買っているどこかの企業とは雲泥の差です」 ってのに失笑。 こんな、一目見ておかしいことが分かるような提灯文章を書いちゃいけませんや。 .去年はこの日記でも日刊アスキー Linux のアホ記事を いくつか取り上げてきたけど、 2002 年はこういう「ひと目でおかしいということに気づくような記事」 を減らすように努力してもらいたいものです。 |
.えーと 、 Li18nux の Locale name guideline は、単なる文字種を規定するのが その本意では無くて、「どういうフォームの文字列を使うべきか」 というのを規定することが本意だと思います。eucJP という codeset name は、 このガイドラインが定める規則に反してはいないものの、 あくまでも「実装依存名」なので、この文章が本当に意図している locale 名の正規フォームからは外れてるのですね。 そういう意味で、このガイドライン(の本来目的としている意図)から外れている、 といっても間違いではない。むしろ、ja_JP.eucJP のような名前が このガイドラインの規則上誤りとされないようにするために、 STRING1 に対する「実装依存例外」があるのだと思ったほうがよいです。 .で、あのガイドラインが何を意図してるかといえば、 結局は「codeset には極力 MIME preferred name を使う」という、 Ulrich さんを始めとした glibc チームの方針を追認したうえで、 ああいう文字列のフォームを規定しているというのが正しいと思います。 .「glibc の方針」については、私は伝聞で知ってるだけなので、 もしかしたら記憶違い・勘違い・聞き間違いかもしれないけど、 少なくとも実際の glibc-2.2 の locale 名はそうなってますね。 |