某日記

(前期)

平成15年10月1日(水曜日)

眠い。

OutRun2

テスタロッサのいない OutRun はクリープ現象のない AT 車みたいなもの。 というわけで 追加

クマチュウ劇場のあかりはお下げバージョンだよ(豆知識)

おさがり部の逆 は「おさげ部」なのではないかという考えに思い至った午後。

C の次

C 言語を捨てる 。 個人的には、C++ は論外として、 かといって Java も Objective-C も今ひとつ食指が動かないので、 D 言語 が来てくれないかなぁと思ってたりして。

gcc のフロントエンドまだーーー? (AAry

まあ個人的には、C 言語の一番致命的な点はライブラリの 一貫性のなさと貧弱さにあると思っているので (C++ もライブラリの一貫性のなさという点ではあまり変わらない)、 そこを改善すれば C でもある程度は凌げるとは思うんだけども。 この点では Java は非常に優秀なのだが。 Objective-C も MacOS X でしか使わないんならいいんだろうけど。

政治

某所に「#と」という、「その手の話題」を扱うチャネルがあるのだが、 ちょっと前に コンピューターの世界から、「日本語」が消えたっ ってのを貼り付けた。内容的に「と」と呼ぶにふさわしいよね。

そうしたら今度は 我国の危機の本質 という釈明文(になってないけど)が登場。爆笑。

技術うんぬんとか政治ぬんぬんとかそういう以前の 事実誤認(というよりも「妄想」)を、 「政治」の名の下に煙に巻いて民衆を欺き煽動しようとするような政治家には、 とうてい民主主義の使徒である代議士としての資格はない (もちろん参議院議員(≠代議士)も含まれる)

細かい点について検討しておくと、まあ用語が妄想なのはともかく、 本質的に以下の点で間違ってる:

  • 「IT 立国」というのは、「IT で武装して鎖国すること」あるいは 「IT で武装して他国を侵略すること」ではない。 しかし、氏の主張はそう言ってるようなもんだ。
  • PC-9801 は本質的に日本の独自技術ではない。 パーソナルコンピュータ(という舶来のコンセプト)の真似にすぎない。 独自性があるとすればそれは、 単にそれを日本向けにローカライズしたという点においてだけだ。 また、その OS (氏の言う「インターネット言語」とは、 ほぼこれと同義だろう)は MS-DOS だった。
  • コンピュータの世界には最初から「日本語」などというものはない。 あったのは、「日本語処理の難しさ」と「非互換性」という 「日本市場の非関税障壁」だけだ。そこには自由主義市場は存在しなかった。
  • PC-9801 が負けたのは、この非関税障壁が陳腐化したからだ。 正常な市場原理が働き始めたのちに、 市場での競争に PC-9801 が負けただけだ。 そして、この敗北の過程で、アメリカのコンピュータメーカの 果たした役割はあまり大きくない。 むしろ、国内メーカが積極的に PC-9801 を切り崩しにかかった。
  • 「日本語」を「日本人にしか理解できない暗号」 という見方で語るのは間違っている。 日本語は「日本人にしか理解できない暗号」ではないし、 そうあるべきでもない (日本人が民族的に優秀であるという根拠のない選民主義が 根底にあるような気がする)。 どうも、「秘密の話をする」というのを、 「日本市場の周囲に防塁を築き閉鎖すること」 と同義に語ってるような気がする。 なお、暗号の強度というのは純粋に数学的な話であって 誰がその暗号を作ったかという話とは全く関係ないし、 もし本当に秘密の話をしたいのならば、 そうする手段は技術的にいくらでも存在する。
  • IETF という標準化団体の存在を問題視しているが、 今の IETF (および ICANN)そのものは国際協調の場であって、 アメリカ一国のものではない。そもそも、 インターネットと米国防省との関係というのは、 その初期に DARPA がお金を出していたというだけのことだ。 IETF を問題視するのならば、 それは本質的に国際協調を否定することであり、 あるいはその出自を問題視するのならば、 同じ理屈でたとえば国連という国際協調の場も否定されてしかるべきだ。 国連だってその生い立ちは占領国による世界秩序の構築だし、 いまだに財政的にはアメリカに大きく依存している (せいぜい一連のイラク問題で見せた国連の 不甲斐なさに対する批判はできても、 国連の存在そのものを問題視する度胸は、この氏にはあるまい)。
  • TRON は確かにアメリカの卑怯なやりくちの被害者ではあるかもしれないが、 それがなかったとしても実際に市場競争で優位に立てたかどうかは 怪しいし、そもそもネットワークのイニシアチブという話とは直交している。 その当時、ネットワークといえばほとんどが今で言う LAN であって、 TCP/IP のようなスケーラビリティのあるものはほとんど存在しなかったし、 実際 MS も TRON 陣営もそんなものは発案していない。 ただ単に、Web という新しくてクールな技術の商機を MS が逃さなかっただけだ。

しかしながら一方で、今の MS やアメリカが、 ある種の反市場主義的な囲い込みによって 市場のそこら中に障害物を立てているのは事実だとは思うけどね。でも、 「日本も負けじとそれと同じ系統の愚をもって対決し、そして勝たねばならない」 と言っているに等しい氏の主張は、あまりにも動物的で幼稚だろう。 まあ極右なんてのは(ry

ちなみに、なんで今 MS が TRON に声をかけたかというその理由は、 Linux に対する牽制の意味が強いでしょうな。 MS は、根本的には PC の OS としての Windows を守るために動いていて、 その目的のために Linux という単語を一つでも多く市場から消すことの 重要性をよく理解しているし、そして、 組み込みから Linux がボトムアップしてくる芽を油断なく 潰そうとしてるだけでしょう。このためには、 もはや落ち目の VxWorks とかでは話題性に乏しいし、 それ以外の組み込み OS では話題性以前にシェアという点で話にならない。 だから、話題性もあってシェアもある ITRON に食指を伸ばしたんでしょうな。 まあこれが正しいかどうかはわからんけど、 少なくともこの程度の分析をもって「政治の話」と言ってくれ。

だいたい、TRON という 「日本のもつ多くの科学技術のなかの単なる一つの技術」 をこういう風な「神聖化」の対象とした馬鹿は、いったいどこのどいつだ? 日本の既存技術(あるいは「世界に誇る技術がたくさんある」という現状) を神聖化してそれを守ろうとするその発想がそもそも、 技術立国としての日本の将来を硬直化させ、 そして敗者へと転落させる元凶になるんじゃないのか?

学者

学者さんは 、 対象となる物事を体系的に整理するのが仕事であって、 対象となる物事を感覚的に理解したり (最低限整理するために必要な理解は行う)、 あるいはそれを実践するのが本来の仕事ではないのは確かですな。

一方で、学問を体系化するにあたっては各種の道具立てを必要とするのだけど、 その道具の一つに、「何らかのアナロジーを仮説として援用する」 というのがあって、この際に援用されるアナロジーの対象は 時としてその学問の外部にあったりする。 たとえば経済理論に熱力学を応用するというのはこういうアナロジーの一例。 そういう観点で見ると、 「人間の意識は CPU 時間みたいなものであり、 そして一つ一つの動作はスレッドみたいなものである」と見なした上で、 「人間の一連の動作というのは意識という CPU 時間をスライスして、 それを個々の動作というスレッドに割り当てるようなものだ」 と仮説してみるのは、その正当性はともかくとして面白いかもしれませんね。

平成15年10月2日(木曜日)

夕方

秋葉でしこたま買い込む。

コンピュータの変な日本語ネタ。

調べた結果を 「"read" になることはできませんでした」のひみつ という文書にまとめてみた。

平成15年10月4日(土曜日)

夕方

豊島公会堂に行く。 地図を見間違えて豊島区清掃工場なんてところに行ってしまうが、 AirH" てくのろじでリカバー。

つーわけで Tribute to あずまんが大王 LIVE に行ってきますた。

やたらと人が多かったので、こがさんと 「栗コーダ単体とか伊藤さん単体とか上野さん単体だとこんなに人入らないのに、 なんでこんなに人がいるのかねぇ。声優が来るわけでもないのに。 あずまんがの名前の効果かねぇ」なんて話をしてたら、 配られたコピーに「ゲスト:金田朋子、松岡由貴」とか書いてあって納得。 いや、事前の告知にもカラーパンフにもそんなことは一言も書いてないし、 実際こがさんが何の問題もなく 2 列目のチケットを押さえてたりするので、 きっとチケット発売開始後に告知されて、 しかもほとんど周知されてなかったんだとは思うが、 逆に言えばヲタの情報網は恐ろしい。

ライブは、前半が栗コーダ単体のサウンドトラック、 後半が Oranges and Lemons を絡めた構成で、 あの「変態な音楽」を堪能してきました。 いや、あずまんが大王アニメ版は、 いろんな意味で(好意的な意味で)「怪作」ですよ、うん。

印象としては、 上野さんが、こんなありえないメロディをよく歌ってるなぁ、とか、 上野さんが、露骨にヲタを嫌がってるなぁ、とか、 声優二人が役作りしてて引くなぁ、とか、 伊藤さんはそんな二人に天然で対応してるなぁ、とか、 松岡さんは声色を使ってることを差し引いても普通にうまいなぁ、とか、 ちよちゃんはちよちゃんじゃなきゃ許されない下手さだなぁ、とか、 空耳ケーキのイントロはやっぱり失敗するのね、とか (あの 2 小節は超絶級に難しい)、 そんな感じ。あっというまに終わりましたな。うん。

平成15年10月5日(日曜日)

昨日夜中

小春エンド。

エンディングテーマが、やっぱりありえねぇ(ほめ言葉)。 ありえないポインツ:

  • イントロで key in E の C#7 で ブラスが C# ナチュラルマイナースケールを吹いてる。
  • あの A メロのディミニッシュスケール上のフレーズは 普通歌えませんがな。
  • エレクトリックグランドのカウンターフレーズ。

昨日夜中 2

CubaseSX の USB ドングルが壊れてるし。 ああいうデバイスが壊れるなんて、設計悪い以外に考えられんな :D

しゃあないので、CubaseVST で我慢……。

今日昼

赤ん坊鑑賞会。

今日夜中

凛子さん、あんたすげぇよ。惚れなおした(ぉ。

難を言えば、 「フラグが立ったから」以上の脈絡が感じられないエロへの導入とか、あるいは、 正体がバレる時の芸のなさ(だって小春と同じなんだもん)は微妙。 あと、最後のイベントは蛇足かも。あれで死ぬとおもろいんだけど :D

サウンドトラックを査収してきたが、 評判通りの ありえないコメントが :D

Tr25 はルバートと言うアルよ。3 拍子といわず、次はぜひ 5 拍子を(ぉ

平成15年10月6日(月曜日)

昨日一昨日と、十分寝てないので眠いでつ。

アレ

やっぱり 、 ラブエス+neko2 っていうオチなのかな :D

公開書簡って言いたかっただけちゃうんかと小一時間(ry

FUD 。 確かに FUD だよなぁ。 坂村さんの主張はあまりに短絡的で全く正鵠を得てないと思う。 まあ、断片的発言を元にした記事だからしょうがない気もするが。 (2003-10-06 23 時ごろ注: どうもこういうことらしい )

一方で、GPL って一言で言えば著作権法というものに対する秀逸な揶揄なので、 「GPLは知的所有権を放棄するモデルなんかではないし (というより知的所有権が存在しない世界ではGPLは何の意味も持たない)」 のうち、括弧書きの部分 「というより知的所有権が存在しない世界ではGPLは何の意味も持たない」 は正しいとしても、 GPL というモデルを語る以上、FSF/GNU と GPL とを切り離しては考えられないので 「GPLは知的所有権を放棄するモデルなんかではないし」 というのは必ずしも正しくないと思うけど。 FSF のユートピアは他でもない、 その「GPL が無意味な世界」なのではないですかね。

「著作の諸権利の『独占』をある特定の私人に対して認めること」 が著作権法の目的であって、それが少なくとも RMS の主張する 「ソフトウェアのあるべき姿(永遠にソースが独占されないこと)」 に反するものであるのは確かだと思う。著作権法がない世界というのは まさにユートピア(本来「存在しない場所」という意味)なので、 FSF はしかたなく次善の策としての GPL を編み出しただけですわな。 その辺の苦渋は、GNU Manifesto の行間にたっぷりと込められてる ("Don't people have a right to control how their creativity is used?" あたりを読もう)。FSF の目的は明らかに、 GPL を利用して合法的にソフトウェア著作権を陳腐化させ、 それを緩やかな解体へと導くことにある。 そういう本質を見極めずに「GPL は知的所有権を否定するものではない。 その証拠に GPL 自身が知的所有権を根拠にするライセンスだ」 とか言っても詭弁ですなそれは。結果から根拠を導いてはいけません。 たとえ FUD に対する反論だとはいえ、これは良くない傾向だと思う。 詭弁に頼らずに、どういう風にそれを言い表せばいいのか、 それも GNU Manifesto の行間にちゃんと書いてあると思うんだけどなぁ。 そもそも「なんで知的所有権を放棄することが悪とされるのか」 という視点を全く欠いている。それが重要なのに。 そこを深く考察すれば、詭弁に陥らずにちゃんと説明できるんだけどなぁ。 そして、それを説明しなければ、 GNU/GPL に対する正しい理解はとうてい得られまい。

実践的な理論において 常に理想と現実との折り合いが必要になるのはしょうがないことだし、 そして RMS はそれをそれなりによくやっている。 事実 GPL はすばらしい発明だよな。全く私は共感しないけど。 ちゃんとその素晴らしさを受け継いでそれを伝達する人が増えれば、 GPL に対する誤解や恐怖(そして楽観も)減ると思うんだけど。

あとね、安易に「烙印を押す」のは、 レトリックにひっかからない人には効果がないし、 安っぽいアジテーションに成り下がるのでやめたほうがよいでしょうね。

いろいろ読みふける。

平成15年10月7日(火曜日)

昨日

犬エンド。特に感慨なし。

しかし、スキップ遅すぎるよ :D

ちょいとネタが古くなってしまったが

お兄ちゃんどいて!そいつ殺せない!

IDN 未対応のクライアント用

ダイヤモンド

見てきた。とりあえず、坂村さん自身の言葉は 「ソフトがすべてタダなんて、国を滅ぼす行為だ」 という一言しかないね。その前後は記者の作文の可能性が高い。

国は滅ばんだろうな。 ただ、もはやソフトウェアを売って飯を食うという モデルが成り立たなくなりつつあるというだけのことだ。 かわりに、サービスを売って飯を食うという業態になる。 GNU Manifesto の "Programmers need to make a living somehow" にもちゃんと書いてあるね。

これを GNU とは関係なしに昔から実践してるのが、広い意味での SE さん。 そこでは、「労働の対価」というモデルをシビアに適用する必要がある。 労働に対する対価。うーん、いい響きだ。 こういう業態が昔からちゃんと成り立ってることを考えてみても、 それで資本主義ないしは資本主義国が滅ぶことが いかにもありえないことだってのはわかる。 ただ単に、業態をそういう方向にシフトしないといけない ジャンルがいままで以上に増えるだけ。 そして、それは搾取されやすい。

まあもっとも、GPL が無くてもそうなるよなきっと。 ただ単に、GPL がそれをほんのわずか加速する役割を担ってるだけで。 逆に言えば GPL ってその程度のものでしかないし、 戒律が厳しい割には期待してるほどの福音をもたらさないと私は思ってる。 まあ、悪いことは言わないから「放任主義的ライセンス」にしときなさいって (セールストーク)。

2003-10-08 02:30 追記: こういうこと 。 まとめれば、

  1. 言ったのは「ソフトがすべてタダなんて、国を滅ぼす行為だ」だけ。
  2. 「すべて」っていう言葉にキモがある。
  3. 記事は FUD かもしれないが、それは坂村さんの意図とは異なる。
ということですな。 でも、じゃあなんでわざわざそんなことを言ったのか、 という疑問は残るわな。

結局のところ、今の坂村さんが何を見てるかといえば、 他でもない組み込み向けであって、 そこは一番サービスという業態が向かないところだってことだろうな。

GPL と金儲け

この点について、もうちょっと考察してみよう。 とりあえず、IBM という例と RedHat という例が、 GPL なソフトをサービスに使ってる例で(ただし、両者の立場はかなり異なる)、 Trolltech という例が別の形でビジネスを構築した例だな。

現在の IBM がどこで儲けているかを考えてみれば、 豊富なハードウェアラインナップに頼ったソリューションサービスの 提供ってことで、GPL (オープンソース)を利用する一つの目的は、 そのための共通部品づくりという側面でしょう。 でも、そのためだけなら必ずしもオープンソースモデルを使う必要もないので、 もう一つの目的は、オープンソースという「体のいいダンピング」を利用して、 MS (ないしはソフトウェア業界)を弱体化させようとしてるんじゃないかな。 もちろんこれは、単にタダだってことだけではなくて、 ソフトウェア技術の安価な流出という意味も含んでる。 そして、そのためのフラッグシップが Linux。

もっとも、 「覇権を取り戻す」ということが決して 自己目的化してるわけではないとは思うけど。 それは他でもないソリューションサービスで 商売を有利に進めるのが目的だと思う。 所詮は世の中だいたいゼロサムなので、 容赦なく覇権を握りたいってとこやろね。 そして、MS が目の上のタンコブとして君臨している。

もともと IBM はそういう業態にマッチした組織を持っていたので、 ソフトの資産的価値をゴミ箱に捨ててもそれでも全体として より多くの儲けを出せるモデルの構築が比較的容易だったし、 それが上記のような戦略を可能とした、ということでしょうな。

一番恐いのは、IBM が覇権を握った後、特許でがんじがらめにして、 GPL を無力化するんじゃないかってことだよなぁ。 もともと IBM も特許を重要視してる会社ではあるし。

というようなことを妄想してたりします。 でも、穿ちすぎというほど突飛でもあるまい。

RedHat は、過去にリテールを売って儲けたキャッシュおよびシェアを元手に、 IBM よりも純粋にサービス業で飯を食ってる。 まあここは眺めていっても、あまり面白い事実は出てこなさそうだな。

Trolltech のモデルは面白い。GPL の性質を逆手にとって、 それを積極的かつ巧みに利用し、顧客の中の 「儲けが期待できない人々」と「儲けが期待できる人々」を明確に分けて、 シェアの拡大と収益の確保の両方を実現してる。 「儲けが期待できない人々」という存在はシェア拡大には重要だし、 間接的な利益(フィードバックやアプリケーション開発) をもたらしてくれる潜在性や、 将来的に「儲けが期待できる人」に転換する潜在性を持っている。 これは実に面白い。

一つ注意しておくべきなのは、Trolltech が IBM とは異なって 純粋なソフトウェアメーカーである以上、本当に世の中が GPL で満たされたら、 Trolltech の今のモデルでは飯は食えない、ということだな。 逆に言えば、ああいう形態のモデルがちゃんと動いているということは、 GPL にも非 GPL にもそれなりに需要があるということだろうね。

あと、これが純粋な GPL ではない、ということにも注意した方がいいやね。 デュアルライセンスを行うためには、 Trolltech が著作権を完全に掌握する必要があるし、 GPL のように「未来永劫オープンであること」を保証してくれない。 いや、実際には、GPL すら、こういう風に著作権を一元管理されてしまうと、 「未来永劫オープンであること」は保証できないんだけどね。

さて、ある相、つまり、「攻撃的か守備的か」という相でみると、 IBM や Trolltech のは「GPL の攻撃的利用」であり、 RedHat のは「GPL の守備的利用」と言える。ビジネス的には、 「GPL の攻撃的利用」のほうがむしろ大きな可能性を持ってると思う。

ただ、「ダンピングに使われかねない」という点だけを取り出してみても、 GPL って自由主義市場の中で使うには諸刃の剣だと思うのよ。 GNU とか GPL は本来「ソースが見れさえすればどうでもいいんだ!」 という刹那的な宗教ではないはずだし(そう考えてる狂信者も多いけど)、 だからこそ「GPL がダンピングにも使える(=強者の凶器となりうる)」 という点についてはちょっと考えてみたほうがいいやね。 「GPL の攻撃的利用」は、ルールという点では合法でも、 モラルという点ではいくつもの疑問が生じてくると思う。 はたして、「GPL という思想を広めてくれる」などと 手放しにありがたがってよいのか。

いずれにしろ、どうもこういうのを「オープンソース」 と呼ぶことには個人的には抵抗があるし、 だから、こういう最悪の事態になるくらいだったら、 最初っから放任主義的ライセンスを使ったほうが、 多くの人にとっての幸福という観点ではまだ多少マシといえよう。 「GPL だから正義」「オープンソースだから正義」 という風潮は、こういう意味でも危険だと思う。

まあ、最悪のシナリオを想定しすぎてるのかもしれないけど。 もちろん、GPL が無条件に悪いものだと言うつもりはない。 単に、GPL が無条件に良いものだと言うつもりがないだけだ。 そして、GPL に対するある種の楽観に対して警告を行うのは、 それなりに無意味ではないと思う。

平成15年10月8日(水曜日)

昨日

フィンランド娘エンド。次の日に来るなよ :D

今日の jargon

:FUD: /fuhd/ n. 1. Fear, Uncertainty, Doubt の略。 2. 自分にとって都合の悪い意見に貼るレッテル。

ところで、例の坂村さんの件およびその関連で昨日までに書いた話は、 ちと書き直してコラムあたりに置いときたいのう。 私自身もいくつか見落としてる部分とか、推敲の途中で 前に書いてあった単語が抜けて前後で意味が通りにくい部分などがあったのだが、 日記を後から(誤字脱字の修正や文法的な修正以上に大きく) 書き換えるのもアレなので。

日記はなんだかんだで十分に校正してないし、 そもそもが脳内 dump 的性質が強いので、 内容の質にムラがある。なんでコラム作ったのかというと、 やっぱり日記ではそういう部分で限界があると思ったからだったり。 特にデリケートな話に関しては、 少し寝かせてから公開することができるし、 技術的な話に関しては、後から修正もしやすい。

一方で、筆がいっこうに進まんというデメリットもあるんだけど。 昨日の話で「放任主義的ライセンス」って言葉がでてきてるけど、 これは私の創作した言葉で、これについてのコラムも書いてるんだが、 やっぱり全然筆が進まねぇ。

publish

某所で GPL の publish という言葉が少し話題に。 「(ソフト作ったことを)『発表』しただけで GPL の 2. の a) b) c) 適用せなならんの?」 という疑問を上げた人が。

もちろんそんなことはなくて、 これはアメリカの著作権法上では日本語の「頒布」という言葉にあたるようだ。 ただし、逐次的な訳語ではないらしい(前後の文脈によって変わる)。 要するに、「著作=情報そのもの」という観点で見たときに、 その情報そのものの一部ないしは全体を「発表」する、という意味ですな。 むしろ、「公表」という意味で取ったほうがまだ近い。 ニュアンス的には、distribute が「unicast 的配布」で、 publish が「broadcast 的配布」という感じなのかのう。

この点で、GPL の 2. b) の publish を単に「発表」と訳してしまっている 八田訳は以下略。って、また八田氏か。 こういう根本的な誤解を与える部分に関しては、 「法的に有効な形で述べたものではありません」 というのは免罪符にはならんし、いずれにしろこういうデリケートなものは せめて専門家にレビューしてもらってから公表してもらいたいところだ。 それが実現するまでは公表しないくらいの勇気を持とう。 用語についてはかつての引地訳のほうが(専門家の手を借りてることもあって) 信用できるが、どうも ver1 から ver2 への改定時にミスってる気がする。

平成15年10月9日(木曜日)

今週のチャンピオンまつり

人気キャラメッセージシールまつりに爆笑。

ぱんつサーカス。双子まつり。

萌え遊戯王。ひんぬーまつり キターーーー(゜∀゜)ーーーー!!

萌えメカ沢。妹まつり。

乳。アンミラまつり。

津田島さん萌えまつり。

ぱんつはいてない姫。純愛(ピュアラブ)まつり。

表紙。ぶるままつり。 ←某氏より書けとの指令

コナさん終了

昨日は、なんとなく物語の核心に迫りそうなので最後に取っておいた みまり姉さんとルファナを分岐手前まで両立させる方法で攻略。ふむ。

みまり姉さんはハンバーガーに尽きますですな :D

ルファナは、んー、微妙に盛り上がらんかったね。 謎解きとオチは、まあ綺麗におさまってるとは思うけど。

つーわけで総評ですが、少ないリソースでうまいこと作ってると思いますはい。 決して大作志向ではないですが、バランスが良い。 あと、コンセプトというかパラレルワールドとしてのアイディアも良いし、 それがある種のソフ倫除けにもなるという副次的効果がありますな。 まあ、コンピュータに入るという話だと、 バイナリィポットも似たような設定だったわけですが、 あそことは 180 度違うカラーになるところが面白い。 やっぱり絵の塗りが独特だというのが大きくて、 絵の空気とシナリオの空気が「たいせつなうた」と一貫してますな。 音楽はある意味評価が難しい(私とけもーんは大喜び)。

欠点は、今ひとつ盛り上がりに欠けるのと(特にルファナ)、 予定調和に頼りすぎてるきらいがあるところでしょうかね。 あと、システムが重いのをとりあえずなんとか。 もっとも、システムを軽くすると、 分量が少なく見えてしまう可能性もあって諸刃の剣 :D (「たいせつなうた」も xmiyabi 使うとクリアに 10 分くらいしかかからんしな)

「パラレルワールド三部作」ということで、 次回もパラレルワールドなんじゃないかと勝手に妄想してみるテスト。

夜中

どーしても「ハレバレしよう!」のブレイクの長さがわかんないので、 CubaseVST さんの出番:

んなあほな。

なお、7/16 だと微妙に長すぎるようで、 16 分シャッフルであることを考慮すると 8 分音符 3 つ + 16 分三連 1 つ分くらいなのではないかと。 あえて signature で書くなら 10/24 っつー邪悪な値になるんですけど どうしましょ。

平成15年10月10日(金曜日)

昨日はハレバレしようとかベースで弾いてたりして夜更かししたので すごくねむい。

ハレバレしようのサビはやっぱりウォーキングベースがキマるぞ。 サビの頭はもともと A (IV) → Am (IVm) → なので、 「g+aba> edba 〜」とベースだけ A (IV) → D7 (VIIb7) と リハーモナイズしたラインを弾いてみたり。

書く前にやることがある

わたしゃ思うんですが 、 批判されるべきは脊髄反射で書いてることでしょうな。 なんで 3 日寝かすとか、そういうことができないのか。 「沈黙は金」という言葉は必ずしも「永遠に黙ること」 をよしとするとは限らないと思うんですがどうでしょう。 いずれにしろ、ああいう微妙な文章を「書き急ぐ」ってのは 「何かを伝えること」ではなくて「何かを書いて見せびらかせること」 が自己目的化してたりするんじゃないかのう。 それではいくら書いても社会的には負でしょうな。

もちろん、「オマエモナー」という外野の声に対して 私は(実に実にもっともなことなので)反論できんけどなー。 まあこういうのは、「私も悪いけど君も悪いよね」 というところから始めんと進歩がないと言えよう(と逃げてみる)。

とはいえ、TPO というのはあると思う。 たとえばこの日記はもともと脊髄反射で書いてみせびらかせることが 目的の一つなのだけど (別にそれが善い行為であると正当化するつもりもないし、 それでは伝えたいこととどうでもいいこととの S/N があまりに 悪いという反省からコラムを作ったりしたんだが)、 japan.linux.com はそういうのを載せるのが目的ではないだろうし、 そういうところへの投稿文書を Web 日記と同程度の雑さで書いちゃいかんやね。