.夕方。焼肉校正。みんな半ば酔っぱらいの戯れ言たれ流し状態で、 私も心にもあることあることないことたくさん言ってるんですが、 これ載せちゃって平気なんだろうか……。 .なんとなく秋葉。乗り過ごして上野広小路まで行ってしまう罠。 .マップシカゴ。 神社が倒産しないように買い支え。あとなんとなくアセリアも買ってみた。 そういえば Clover Hearts のデモをやっていて、 ゲームも曲自体もどうでもいいのだが(ぉぃ、 すごく良い(=高そうな)ストリングス使ってやがって、 そのサンプリング CD 俺にくれ状態。 .帰ってきて神社。 神社は倒産せず、代わりに漫画の山が 2 度ほど倒壊。 というか、壁などの支えがないと漫画は 30 冊ほど重ねるだけで倒れるようです <それは下にさらに雑誌書籍類が 30 冊あって不安定だから。 気合を入れて積みなおす。 |
.というわけで、 Purple Soft が倒産しないように買い支えた 神社倒産 。 「初回版に限り DVD-ROM 版を同梱」とか、 「アンインストールは CD-ROM 版からのみ」とか、どう突っ込んだものかと。 .音楽はですね、俺にそのサンプリング CD をくれ状態(またかよ)。 あのベーゼンドルファーっぽいピアノの サンプリング CD の銘柄と(ピアノフェチなの、わたくし)、 あのアコギのサンプリング CD の銘柄と、 そしてウッドウィンド類(サックスは金管に分類されるけど、 セクションでないサックスは俺の中では木管)の音源の正体を知りたい。 あれは物理シミュレーション音源なのかのう。 PCM だと、あの音素を用意するのがめんどいし、 それをつないでいくのはもっとメンドイのう。 音源フェチならば、あのウッドウィンド類は聴いとけ。 それはともかく、曲もそれなりに良い。 .次女を攻略。まあ及第点。なんか淡々と終わってしまった。 もうひとひねり欲しいところでござるな。 |
.長女。くしゃみはやっぱり伏線。 うわーん、清純派だと思ってたのに……。 巫女装束を完全に脱がすとはけしからん。あと、台詞なんですが、 「だって……わたしだって女だよ……。でもその前に人間だよ……」 って、全然意味がわかりませんよ! ある意味リアルリアリティ。 .三女。町会長さんに何をしたのか、妙な想像をしたのは私だけではあるまい。 うっかりスルーしそうになったが、 「覚えていて頂けてけたんですね」って何語だよ。 やっぱり次女シナリオからちょっとした伏線があるね。 .というか、過去で三姉妹全員にコナかけてたってことかよ主人公。 .屋上の人。マニュアルで微妙なネタバレが。 この件に関しても、一応他のシナリオからは伏線があるんだな。 .わはー。主人公、お前のその葛藤は 5 秒で解決かよ。 .総評。もうすこし頑張りましょう。雰囲気は悪くないのだが、 全体的に取ってつけたようなエロシーンへの導入とか、 あまりに簡単過ぎる選択肢とか、伏線であることがバレバレの伏線とか、 今ひとつ盛り上がりに欠ける部分とかをもうちょっと何とか。 あと、設定が今ひとつ生かせてない部分があって、 たとえば、せっかくの神社という設定なのに、 なんでもっと巫女装束でエロしませんか、とか、 せっかく親父がプロローグでいい味を出してるのに、 最終的には単なる邪魔キャラに成り下がってるところとか、 改善の余地がいっぱいありますな。 .今年は、同系統で夏少女という佳作が出てしまっているので、 それと比較するとやっぱり見劣りしますな。 Purple は次回作に期待してるので頑張ってください。 |
.しかし、FAT といってもいくつか種類があるから、 ここで挙げられてる 4 つの特許が一体どの FAT variant に 適用されるのかを誰か検討してください。 .ざっと見た感じだと、全部 VFAT がらみの特許にみえるので、 実は VFAT を使ってなければ問題ないんじゃないかという気も。 なんて紛らわしい……。 |
.プログラミング言語の WYSIWYG 。 なんで WYSIWYG がもてはやされるかといえば、 それはその「直感性」にあるわけで、 言いかえれば WYSIWYG とされている対象の「What you see」が 自明であるからこそなのではないかと思うのです。 つまり、対象の具象性に依存してる。 一方でそもそも、 見えないもの(抽象的なもの)に対して「What you see」が「何であるか」を 定義するのは、(見えるものに対してその定義を行うことほどには) 自明ではないことが多いですし、 プログラミング言語が主に扱う領域はまさにそこなんですよね。 .つまり、究極的には WYSIWYG 化しにくいものやできないものを書くのが プログラミング言語の役割であって、そういう意味で 「WYSIWYG なプログラミング言語」というのは定義上ありえず、結局は 「WYSIWYG にできる部分とできない部分を分離したプログラミング環境」 というものを考えたうえで、 WYSIWYG にできない部分を記述するのがプログラミング言語なのではないかと。 逆に言えば、いままでは具象の部分もプログラミング言語を使って 書かざるを得なかったけど、 それはプログラミング言語の本来の領域ではないんじゃないかと思います。 .あるいは、 「テキストファイルの書き方 = プログラミング言語」 という固定概念(あるいは狭義の概念)を捨て去って、 「プログラムの作り方 = プログラミング言語」と拡張すると (「デザインパターン言語」みたいなものか)、 「WYSIWYG にできる部分とできない部分を分離したプログラミング環境」 すなわち 「WYSIWYG にできる部分とできない部分を分離したプログラミング言語」 となるのかもしれません。 .たとえば、MVC モデルというのは、 結局はそういう発想なのではないかと思います。 実際、V に関してはもはやプログラマが(狭義の)プログラム言語を使って プログラムを書かなくてもいい時代になってますね。 |
.ネタもないので最近読んだ漫画(の一部)の話。 .「妹恋(3)」を読んだ。 2 巻までは割とムカツキ対象だったような気がする頼が、 なんとなくかわいく思えてきた。 ラストでやっぱりそういう展開ですかを匂わせる雰囲気が。 個人的にはどっちかといえば「オリジナル・シン」のような展開のほうが 萌えるわけです(←……)。いや大丈夫、AoiMoe の第三法則により、 禁忌ではないのです(そうか?)。 .参考:AoiMoe の第三法則 --- 腹違いの兄妹の間にできた子には、 近親配合における遺伝的劣性が発生しない (簡単な組み合わせの算数なので興味のある人は計算してみてね♪) ……って、よくよく考えてみるとウソかなぁ。 (兄妹の)父と全く同一の遺伝子を持つ子は生まれる可能性があるよな。 .第一第二はあるのか? という無粋なツッコミはしないように。 .BOOKOFF でめっけてきた「ARTIFACT;RED」とか読んでみた。 拙さはあるものの、ある意味では「瀬戸の花嫁」 よりスピード感がある分ずっとバカバカしくて面白いかもしれない。 「瀬戸の花嫁」も面白いけど。 .エニックスつながりで、 「おキツネさまエニックス版(2)」とか「あたしの王子様(2)」とか 「QPエンジェル(3)」とかも買ってる訳ですが、 これらステンシル勢の人々はどうなるんでしょうかねぇ (南京ぐれ子あたりは GGW あたりでも通用しそうだし、 だいたい元々がアレなのでアレだけど)。 というか、 おキツネさまはまたもや曰く付きになってしまうわけですかねぇ。 .これまた BOOKOFF でめっけてきた「ストップ! ひばりくん」 の文庫本も読んでみた。やっぱり名作だよなぁ。 .要するにそういうレベルで無知ですな、私 。 生まれてきてすんません。 |
.sysctl の byname 化 。 ある意味オリジナルの BSD 由来の債務の清算。 これが今までなされていなかったのが、 まあ NetBSD らしいといえば NetBSD らしいところ。 |
.flutter 。 専門家じゃないから正確なところはわかりませんが、 単純に「震えた声」なんじゃないかと。オーディオ用語に wow/flutter なんてのがありますし (これはテープやレコードの回転数が不安定で 音がゆがんだり(wow)揺れたり(flutter)すること)、 flutter 自体に「けいれん」という意味もありますね。 |
.その記事 。 私も、タイトルだけ見て 「たまには japan.linux.com も面白そうな記事乗せてるじゃん」 とか思って中身見てガックリきたわけですが。 というか、いつも技術系の記事は 「たまには japan.linux.com も面白そうな記事乗せてるじゃん」 と期待して読んで、いつも外されてるな。学習しろよ俺。 .OpenH323 のヘッダファイルをインクルードしただけの .cc ファイルの コンパイルに 7 秒かかるというような経験をしたことがあれば、 pch がどれだけ有用かわかりそうなもんだが。 「ターンアラウンドタイムの短さが開発効率に直結する」なんてのは、 まあ開発者じゃないとわからん話だな。 .まあ j.l.c だしな。翻訳記事に関しては、まあ元がアレなんだろうが、 自前記事もアレだし。 |
.このへん 、 技術の垣根を下げるというその言や良しとして、 個人的には、それは別の次元の話だと思うんだけどなぁ。 .広い観点で見れば、「リンクしないで」と一言書くのも、 これはこれで「技術的な方法」ではあるんですね。 コストが全くかからない代わりに、 強制力という意味での効果もほとんどないけど。 .一方で、一つの例だけども、 ページの一貫性を保つために自由リンクにしたくないとする。 ここで、リファラで弾くという 少し強い「技術的な方法」を採用したとしましょう。 でも、「リファラを勝手に生成するゲートウェイ」 というサービスを誰かが始めたとする。 実際それは可能だったりするのですが、でもそれは許容されるのかどうか。 「技術で防げる」という点だけで考えてしまうと、 そういうふうにエスカレートしていってしまう。 .要は、倫理というのは、「できることは、やっていい」という話ではなくて、 「できることは、やっていいとは限らない」という話なわけでして。 そもそも、リンクというのも「技術的な方法」でして、 ここで問題になってるのは「技術的な方法」の使い方をどう律していくか、 という話なのですね。 「技術でふせげばいいじゃん」論は、 結局は「できることは、やっていい」という前提に立脚してるわけですが、 それでは、「(力づくででも)できるのならば、それをやってもいいのね」 になってしまう。そんなところでは倫理は最初から成立しない。 .まあ、倫理に頼っても現在そこにある問題は何も解決しなかったりするので、 何らかの技術的な方法に頼らざるを得ないのも事実だから、 そういう意味で、 「技術の垣根を下げるというその言や良し」なのです。 しかしながら、それで論点がズレてしまうようだと、ちょっと違うかなぁ、 と思います。ので釘。 .技術マンセーな人が陥りがちなんだけど、 「リンクしないでね」と一言書くことの「簡単さ」 という効果を甘く見る傾向があるのは確かなんだろうな。 私の技術屋としての経験から言わしてもらえば、 この手のものを甘く見るべきではない、という点は注意しておくかにゃ。 それで済むならそれに越したことはない。 .勘違いされないように一応言っておくと、 もちろん一方で、 厳格に守りたいものがあるのに鍵もかけずに「この扉開けるべからず」 と貼り紙するのはアホのやることだわな。 これはリンクの是非というここでの主題とは明確に区別されるべき話題だが。 |