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.鍵署名宴会。けんと様を信頼の輪に組み入れる。 .「 |
.どぶランドイーストでリハと録音。 yar-3b は適当に弾けばできあがりなので話が早い。 今回はほたるや 3 がいなかったので R-8 君に覚えさせるための 構成表が必要になった分ちょっと余計に時間がかかったが、 各パートほぼワンテイク。 .「 .新井葉月は出自からして少女漫画家の系譜ではあるものの、 これを掲載してたのが男性向けマイナー誌だというあたりが 時代の流れなのでしょうな。そして掲載誌は休刊。 作家さんが必ず一回は休刊を経験してしまうジャンルといえよう。 今月は新井葉月の盟友であるところの山名沢湖の新刊が 三冊も出たりもするので、いろんな意味で豊作ですわね。 |
.「 .「 .そういえば夕刊のテレビ欄見てたら「月詠 ネコミミ・モードで〜す」 とか書いてあってミソ汁吹いた。ので見た。でもオープニングだけ。 |
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.テレビコマーシャル時代の終焉 。 ふむ。法律の精神を遵守するくらいの筋は通してほしいものだわな。 しょせんは著作権法が謳う文化保護なんてのは最初から単なる建前であって、 実質的には権益確保のための法律に過ぎないのは確かだけれども、 しかしながら建前に対する筋を通さないのがなぁ。 .まあ 素直に「助けて! みんながコマーシャルを見てくれないとボクたち困っちゃう」とでも言えば、まあ方法を考えてやらんでもないのだがが本質だわな。 本来「助けて」と懇願する側だったはずの人間が、 著作権法を得ることによって高圧的になる不思議。 まあ「方法を考えてやらんでもないのだが」も高圧的だけど。 もちろん人々が、「懇願」という自らの尊厳を落とすような方法を 使わないと生きていけないような世の中は、 それはそれで健全ではないのかもしれないし、 だからこそ著作権法みたいな仕組みがあるわけだが、 ものには限度というものがあろう。 差別権益とか弱者権益と同じ構造なんだよな、これ。 .ちなみに、ページ 2 末からページ 3 頭にかけて書かれている 「テレビ CM には機能性が無い」という話は微妙に論理的におかしくて、 たとえば例に上がってる森下仁丹の広告なんてのは、 テレビ CM と番組に関連性がないのと同程度に、 町名表示と広告の間には全く関連性がない。これとのアナロジーで考えれば テレビ放送というのはまさに「番組つき広告」なのであって 「町名表示つき広告」と同程度の機能は有してると言える。 むしろ、この二つの顕著な相違点を挙げるとするならば、 その広告を見るための機械を見る側が自腹切って買うかどうかという点に あるんじゃないかのう。 .高圧的という部分についてもう少し私の感覚を述べてみると、 何か著作権権益というのは絶対君主みたいな香りを感じるんだよなぁ。 絶対君主と立憲君主の違いを乱暴に言えば、前者は君臨して統治する、 後者は君臨するけど統治せず、なわけだが、 著作権というものを振り回す人々というのはどうも 著作権法というものを利用して経済的に君臨し統治しようとしてるように見える。 そりゃ、立憲君主ないしは共和制以降の民主的な世の中では受け入れられんわ。 |
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.ドトールでマターリ。 .「 |
.ゲームボーイウォーズやりながら一日中ごろごろしてた。 .元祖ブルトレ「あさかぜ」、2月末で引退 「さくら」も 。 ううむ、あさかぜはまだ乗ったことがないので乗っておきたいが、 下関というのは今ひとつ中途半端なので難しい。 .実用上はむしろさくらのほうが痛いといえよう。 まあどっちにしろ長崎新幹線開業までの命だったわけで、 それが少々早くなっただけではあるのだが。 .あさかぜだけに乗るなら山陰まわりで帰って来たいところだが、 いそかぜに乗り継げないので その日のうちに山陰本線に入るのは死にに行くようなもんだ。 出雲号には間に合うけど出雲市まで延々 8 時間かけて行くのもねぇ。 それなら小倉で一泊して出雲大社にお参りしてから帰るところだが、 昼前に小倉に着いても用事がない。 この辺があさかぜの中途半端なところなんですな。 .別府でゆっくり温泉に浸かってからゆふいんの森 4 号に乗ると博多着 17:58、 ソニック 47 号で小倉 19:14 なのでこれは割とリーズナブル。 このパターンなら山陰で一二泊してカニを食ってから帰るとよさげ。 .さくら号にも乗るのなら、何も考えずに長崎まで行くか、 九州一周旅行してから長崎まで行くかどっちかだな。 |
.某所より、 ただの義姉だと思ってた 。 本編はともかく脱線が面白いなーと思って読んでたら……そういうオチかYO! |