某日記

(前期)

平成17年2月2日(水曜日)

つーわけで

帰ってきたにょ。

ブラックバス

うむ 。 この辺の話、多少程度や構図の違いはあれ、 「バス」を「たばこ」と置き換えても成立する話だなぁ、とか思った。

それはともかく、私が常々「腹が立つやら情けないやら」と思っていることは、 バス放流などの行為そのものではなくて、 バス擁護の理屈に知性や理性というものが一片も存在しないということだのう。 エゴをエゴと認めてるうちはまだマトモなのだよ。 変な理屈でそこに謎の公共性を付与しようとするあたりに、 知性もしくは理性、あるいはその両方が欠如しているのではないかと思う (典型的な例は「キャッチ・アンド・リリースには教育的効果がある」という奴。 せいぜい人間の愚かさを知るという反面教育にしかならんぞ)。 みそ汁で顔を洗って出直してこい。

レトリック

GPLが好きな理由 。 別に何を好きでも良いけれど、例によって

たとえば、Microsoftは、BSDライセンスが適用されていたTCP/IPスタックを、パブリックから奪って自社のプロプライエタリ製品ラインに飲み込んだ。そうして、元はパブリックのものだったものをパブリックに対して売ったのである。もちろん合法的に。BSD式のライセンスでは、こうした行為を防ぐことはできない。
みたいな間抜けなレトリックを弄するのはやめましょう。 みそ汁で顔を洗って出直してこい。

学生

まほぱぱとこ から これ 。 ふうむ。 大学ないしは大学院の授業というのはモノによっては 下らないものもあるが、 そういう下らないものを受けさせられるという理不尽さへの耐性が、 いまの学生には失われてしまったと言えるだろう。

つまりこれは、ゆとり教育の弊害なのである!!

ΩΩΩ<なんだってーー!!!

というのは冗談として(便利な言葉だ「ゆとり教育の弊害」)、 まあ自分で学んだり研究したりという力を、 ここまでの学習で段階を追って身につけている人間にとっては、 「ヌルい授業をやるくらいなら最初からやるなよ」 と言いたくなる気持ちもよくわかる。 事実「ムダなものはムダ」というのは正論ではある。 教授も最初からちゃんと講義をする気がなかったりするしな。

課程修士にしろ課程博士にしろ、学部と比べればはるかに少ないとは言っても、 専門外の講義までなんか埋め草みたいにノルマとして取らされるという状況が あるのは確かで、それは一見ムダにみえるかもしれないけれども、 大学院側としては多分、 学生の見識を広げるためのお手伝いという建前はあるので、 学生のほうも建前ではそのへんを前向きに捉えているように見せかけて 適当にあしらうという技を身につけておくのも、 世渡りをするためには大事かもしれず。

「文句を言う/言わない」「自分でやる/やらない」 という選択肢を組み合わせた 4 通りのなかで、 文句も言わず淡々と切磋琢磨するという美徳も確かにあるが、 文句は言うが切磋琢磨もするであればまだマシなんじゃないかと言う気もする。 愚痴るという部分に言い方の問題はあるような気がするが。

どうでもいいことでございますが、 「ゆとり教育」よりも「ゆりと教育」の方が夢がございますわね。 ごきげんよう。

NDS に FPGA で作った cart emu を挿してデモプログラムを実行

Preliminary PassMe Design Files

平成17年2月3日(木曜日)

昨日

帰ってさっさと寝た。

今日

早売りで新宿書店に負けてたぞ高岡。

来週

白馬に行く予定。

「白馬・上諏訪ゾーン」が廃止にさえなってなければ JR で行ったのになぁ。 儲からない制度の安楽死政策もいいけれど、 そういうことをすれば結局鉄道そのものを使わなくなるってだけだよな。 JR 東あたりにしてみるとそれすらも思うツボという噂もあるが。 まあ国営だろうが民営だろうが巨大独占企業はどうしようもない。

というわけで車。

しかし

旅行行きたいなぁ←昨日帰ってきたばっかりだベ

とりあえず今行きたいのは北陸。 北陸行くだけなら北陸フリーきっぷという手もあるし、 加賀能登ゾーンで京都とか絡めるのも萌えますな。 せっかくなら能登線が全線廃止になる前に行きたいところではあるが、 スケジュール的に無理なので、上越線夜行が復活してからだな。

あと、3/19 - 21 に三連休パスでどっかに行くという手もあるな。

平成17年2月4日(金曜日)

昨日

お兄ちゃんと一緒(3) / 時計野はり」 を読んで寝た。うーんもうプリチーったらありゃしない。

それにしても

特許は悪だから悪みたいな論調にはうんざりしませんか(挨拶)。

今回の話で落ち着いて読めたのは かっしーさんとこ くらいかのう。

まあ悪だから悪というのは置いといても、ソフトウェア特許というものが、 ソフトウェアへあまりに素朴に特許制度を援用し過ぎたという部分と、 進歩性というものがあまりに鑑みられていないという部分において 少々困ったことになってるのは確かで、何らかの修正は必要よね。

ところで話は変わるが、オープンソースと特許のかかわりに関して言えば、 「オープンソースで実装を公開する代わりに特許で縛る」 というやり方だって「(単なるメカニズムとしての)オープンソース」 というものの有効な利用法ですわな。 というかある意味で特許というものの正しい使い方よね。 そういうことを言い出すオープンソース推進論者がいないのが不思議。 オープンソースというものの懐の深さをちゃんと理解してないのは 他でもないオープンソース推進論者なのではないか、 というのが、たまに私が端から見てて思うことだったりする。

逆にいうと、オープンソースというものがあまりに勢力を伸ばし過ぎたから、 むしろソフトウェア特許が重要になった、というべきかもしれず。もっとも、 そういう観点でのソフトウェア特許の利用というのは、 結局はオープンソースへの対抗手段としてあまり有効ではないと思うんだけど。 プロプライエタリな世界ではよくクロスライセンスという契約方法を取るけれど、 あれと同じ方法論をオープンソースという括りでやられ出すと容易に無効化する。 あまりにもその括りが広くなり過ぎれば、やってることは MS の特許不行使特約と 変わらないものになってくるので公序良俗という点で疑問があるけど。 これは要するに、いかに特許制度に反していないからとは言って、 その制度を手玉に取って制度そのものを事実上無効化するというような 方法論がいいかどうかという話よね。遵法意識というのは、 必ずしも法文を一字一句厳格に解釈するということではないわけでして。 まあもちろん、MS が批判されるのはそれだけではなくて、 それが結果として市場独占的な行為だと見なされてるからなんだけれども。

というわけでどうっすか、誰か 「ソフトウェア特許の適正化」と 「オープンソースによるソフトウェア特許の活用」 をセットにしてある種の啓蒙活動をしてみるってのは。 これはかなりプラクティカルな立場だと思うんだけど。 まーわたしゃ世の中を変えるということには興味がないのでやらんけど。

ぐる

新鮮でないのにまだ話題になり得る状況 。 「(俺基準で)間違ったルールの拡大再生産を止めなければと思う教」 も根強いよね :D

寝台特急「みさくら号」に乗ってみませんか? またアレなことになりそうな企画を……

ChuChu 春の号 2/12

がはは 。 まあ確かにやるべきことは 100 年前と同じだわな。

今回の結末で望ましくないのは松下側が不買運動に負けて提訴取り下げ 。 全く。NHK 受信料未払いもそうだけど、見苦しいったらありゃしない。 まあゲリラ戦法しか手段がないという理屈も分からんでもないが、不毛よね。 たとえば CCCD の不買における、「商品そのものが粗悪であるという事実」 をもって忌避するという姿勢ならまだしも分かるのだが。

平成17年2月5日(土曜日)

昨日

本日も晴天なり! / 山中 こうじ」 を読んで寝た。ほのぼの。

今日

ドトールでマターリしてたらやあ 3 から電話。

ぐる

適宜よろすく

平成17年2月6日(日曜日)

昨日

寒くて 妹暖房 布団に潜って寝た。

今日

ドトールでマターリ。

今日の戦利品: 「ショッカーO野の熱血ヒーロー日記 / 大野浩・小野敏洋」 「幸せの骨頂 / 清水ミチコ

前者は今は亡きラポートが 1989 年に雑誌扱いで出したコミック。 たまにこういうのが出てくるから侮りがたしブックオフ。 後者は 20 年近く前の清水ミチコのライブの CD。

ぐる

溝の口 。 谷風呂店には 25 年ほど前にお世話になった記憶が。 その看板もその頃からありますな。ポリ浴槽だったかなぁ。 それにしても津田山側の商店街ってまだ残ってたのか。 てっきり再開発で潰れたもんだと思ってたが、 北東側開発と南口開発のちょうど谷間なのかもなぁ。 古きよき小汚い南武線沿線の風情が残ってる数少ない場所かも。

平成17年2月7日(月曜日)

昨日

さすがの猿飛(文庫版) (4) / 細野 不二彦」を読んで寝た。

ぐる

踏切横断「止まらずOKに」 自民有志が法改正検討 。 変えたほうがいいのか悪いのかそこのところはともかくとして、 「踏切前の一時停止を義務づけているのは、世界で日本と韓国だけ」 とか 「一時停止義務のない欧米の方が日本より踏切事故が多い」 というのを読んでぐんにょり。 日本はこの点に関しては比較的特殊だと思うので、 外国を持ち出すことにどれほどの意味があるのか。

まあなかなか難しいよね、これ。 この記事を見る限り、賛成派の言うことももっともではあるが、 いかんせん根拠がどれだけちゃんと「叩かれた(検証された)」 ものなのかがよくわからんよね。 統計だけ見てても駄目で、人間工学的な見地からの実験なども必要であろうな。

で、これを読んでて思い出したのが 香川の運転ルール 4 箇条 。 既に実地試験がされてると考えられなくもない :D

白馬関連

松本電鉄バス・川中島バス / 白馬・大町・アルペンルート方面 。 長野-八方 1h10m 1400 円。 鉄道だと特急使っても白馬から 2h かかるうえに 5130 円。 普通列車だと 3h で 2210 円。

というわけで検討。(1) 白馬 1132 - 331M - 1152 信濃大町 1156 - 427D - 1250 糸魚川 1338 - 537M - 1414 直江津 1450 - 3328M 【妙高8】- 1625 長野 1630 - バス - 1740 はさすがに帰りが遅いのと長野の乗り換え厳しい。 ちなみに北越でショートカットしても、 長野の乗り換えがゆるいだけで結果は変わんない。 せめて妙高 6 に乗れると良いのだが、 そうなると白馬 853 で微妙に早い。 白馬からの下り列車はあまり時間がよろしくない。

(2) 八方 950 - バス - 1105 長野 1241 - 3325M【妙高5】- 1419 直江津 1446 - 1056M 【北越 6】- 1509 糸魚川 1512 - 430D - 1608 南小谷 1610 - 1344M - 1628 白馬。 震災の影響で北越が遅れがちなのが恐いところだが、 糸魚川での 3 分間合いはきっと接続取るでしょう。 大糸線が少なすぎて、北越使わないと 1859 白馬。 長野で飯を食わずに駅弁かついで長野 1128 発の 345M に乗り継げば直江津発 1322 の 558M で 430D に間に合うが、 信越国境越えで妙高に乗らずして何に乗るか、という感じではあるし、 長距離バスの後の 20 分の間合いはちょっと恐い。

(3) 松本方面だと、 八方 950 - バス - 1105 長野 1301 - 1226M - 1417 松本 1515 - 339M - 1707 白馬とか。これもちと帰りが遅い。 ちなみに二日かければ (1) と対にして乗車券を一筆書きにできる。

(4) 白馬発の上り列車には 954 発という手ごろなのがあるので見てみると、 白馬 954 - 338M - 1133 松本 1142 - 119M - 1300 長野 1520 - バス - 1630 八方。ちと長野の間合いがあり過ぎる。(2) と対にして一筆書きにできる。

(5) 白馬 954 - 338M - 1133 松本 1147 - 440M - 1203 塩尻 1219 - 158M - 1239 辰野 1302 - 161M - 1323 塩尻 1400 - 1011M 【ワイドビューしなの11】- 1449 長野 1520 - バス - 1630 八方なんて筋も。松本-辰野往復きっぷを足せば (2) と対に。

(2)+(5)だと、バス往復 1800 円、 白馬→白馬(大糸・篠ノ井・信越・北陸・大糸)で運賃 5580 円、 塩尻-辰野往復 640 円。北越の直江津→糸魚川 1240 円、 しなのの塩尻→長野 1660 円。合計 10920 円。高いなぁ。

高いので結局バスで長野往復ってあたりでお茶を濁しそうな予感。 あとはミニエコーに乗るだけという手もある。 白馬-辰野 91.2km 往復 3240 円。 岡谷まで買うと 100.7km で途中下車可能になって往復 3780 円。 ちなみに 白馬 954 - 338M - 1133 松本 1147 - 440M - 1203 塩尻 1219 - 158M - 1239 辰野 1302 - 161M - 1323 塩尻 1341 - 437M - 1356 松本 1405 - 4231M - 1455 信濃大町 1457 - 1337M - 1537 白馬。 微妙に昼飯が食えないよん。塩尻か松本で駅弁を買って、 ミニエコーで食うのだろうか。

八方 - バス - 長野 - 妙高 5 - 妙高高原 - 妙高 6 - 長野 - バス - 八方 という手もある。 乗り継ぎは関山でもいいし、無理をすれば二本木まで行けそうな気もする。 時刻表を素直に読むと二本木では 2 分の差で乗り継ぎが間に合わないように見えるが、 時刻表には発時しか書いてないので必ずしも乗り継げないとは言い切れない。 345M の関山-二本木の発時の差が 10 分なのに対し妙高 5 のそれは 15 分、 一方 346M の新井-二本木の発時の差が 9 分なのに対し妙高 6 のそれは 8 分。 妙高 5 が先に二本木に入線して妙高 6 を待つ形に見える (そして十津川警部は現地に行って初めてその事実に気づくのであった)。 もっとも、二本木はスイッチバックで配線が複雑なので過信は禁物だし、 あとはダイヤが乱れると危険。 というわけで二本木は避けるべし。関山は何もなさそうなので妙高高原。 かろうじて信越国境が越えられる。鉄道往復 1300 円。

まあやっぱりプランを立ててる間が一番たのしいような気もする。 お金かからないし。

平成17年2月8日(火曜日)

昨日

スーパーボール見てから寝た。

ぐる

松原正樹 25 周年記念ライブ DVD 。 うちにこの DVD と同じ音源の 「HUMARHYTHM LIVE / 松原正樹」 っていう CD がありますが、 例によって SNIPER での今剛との掛け合いとかがなかなか暑苦しくてよいでっせ。 ギフト券余ってるし、つーわけでポチっとな

手数 。 どっちかといえばストレートな 8 ビートロックが多いですな。 ほとんどの日本人は一度は松原正樹のギターを聴いてるはず。

頑張れ 。 「これ以上頑張りようがない」とか「善意が押し付けられる」とかではなく、 「善意の押し付けに対する無自覚」に腹が立つことはあるな。 おおよそ私が何かにムカつく時、その背景には無自覚があるケースが多い。

まあ「頑張る」という言葉は基本的に 一人称に対してしか使うべきではないのかもしれない。 「私は頑張ります」とか「私たちで頑張りましょう」とか。 「頑張ってね」という言葉は一見すると二人称に見えるけれど、 もともと或る種の「お互いさま」意識の共有を前提としたもので、 結局は一人称的視点から述べられている言葉なのかもしれない。

ただ、言葉の送り手が無意識的にそう思って使っていたとしても、 受け手が必ずしも一人称的に感じているとは限らないわけで、 そういう齟齬が存在しているときには受け手にとっては 単なる他人事に聞こえることがある。 苦労しているときの他人事は時として追い打ちをかける。

で、コミュニケーションにおいてそういう齟齬は珍しくはないので、 これはどちらが悪いという問題でもないし、 そこでいちいち腹を立ててもしょうがないといえばしょうがない。 ただ、送り手はそのことに関してあまりに無自覚な傾向にある。 この無自覚さはどこまでいってもその無自覚さから脱することがないので、 自分の善意を否定されると平気で「心が狭い」 とかそういうことを言って追い打ちをかけたりする (鈍感なのと心が広いのは違うのだが)。 こういう無自覚な善意の押しつけに反抗しても、 たいてい相手はその無自覚さを改善したり反省しようとはしない。 無自覚を直すにはまず無自覚を自覚しないといけないのだが、 これが難しいのはソクラテスの有名な言葉を引きあいに出すまでもないですな。

結局のところこの手の話にはそういう構造があるので、 「聞き流す」という技に及く方法はないってことかもしれんのう。 相手の無自覚を正すという勝算に乏しい戦いを挑んでも 余計傷口が広がるだけなので、 あくまでも自分のために意識的に鈍感になったほうが賢明だということ。 そういう明確な意思をもって聞き流すのがよかろう。 人のふり見て我がふり直せと言うけれど、 ここで大切なのは無自覚の再生産をしないことだろうな。

こういう無自覚な善意から発せられる言葉というものの構造については 「うるさい日本の私 / 中島 義道」 なんて本を読むとわかる。 ただ、この本は著者の戦いの記録がしつこいほどに 繰り返されるので読んでて疲れるけど。 要点を知りたい場合には拾い読みしたほうがいいでしょう。

時刻表 。 ただまあ、 あくまでも実行すること前提のプラン立てであるという点において 面白いのであって、プランを立てるためのプランだと 面白くないということもないということもないということもない。

まあ仮想旅行プランだったら、 30 年くらい前の時刻表使ったほうが面白いでしょうな。

写真は 48.10 改正時の浜坂駅時刻表。急行が山のように走ってるし、 面白いところでは門司を早朝出て福知山に夜遅くに着く普通824レなんてものが。 かろうじてはまかぜが止まることを除けば、今や昔日の面影もない浜坂であった。

平成17年2月9日(水曜日)

昨日

特記事項なし。

ぐる

フォントと一緒じゃ通じまい 。 「他の人の著作物を文字のフォントかなんかと一緒だと思っている」 なるほどねぇ。

どこまでが「パクリ」でどこまでが「似てる」なのかは 判然としない部分はあるし、 多くの場合は「似てる」方に善意に解釈してあげるもんなのですが、 しかしながら明らかなパクリというのはやっぱりあって、 以前にこの日記でも挙げたことがある某ゲームの主題歌なんかは、 パクリ部分とオリジナル部分 (オリジナルだと言い切れる部分は B メロ前半の 4 小節しかないけど) のコラージュという表現がぴったりで、こういうのは「似てる」とは言わない。

「影響を受けて似る」という場合には、 間に「消化」というプロセスが存在するので 決してコラージュにはならないのです。 大まかに言えば、その辺が「パクリ」と「似てる」の違いの一つのポイント。