某日記

(中期)

平成18年11月11日(土曜日)

JASRAC を死滅させる方法

音楽も何らかの方法で google のビジネスモデルに乗せてしまって、タダで使い放題にすればいいだけ。もうあらゆるコンテンツは google の異業種ダンピングの標的にされてしまえばいいんだ。

今日

NetBSD/zaurus - すばらしい。

いまどき 。 あれはいまどきの話ではないと解釈する方が素直かもしれない。

表面的な部分では、確かに電器屋には薄型テレビが並んでたりする世界だし、キャラ☆エンのキャラクタ構成なんかは今っぽい感じがするけれど、そういう表面的な部分ではないところ --- どうも高校生にもなってアイドルにハマってるとか、子供が壊したテレビを教育的配慮からその子供に弁償させるとか、そういうようなメンタリティはいかにも今っぽくない。むしろ、我々とか作者の年代が子供だった時代くらいまで遡ってみれば違和感がないと思う。山名センセイの諸作を横断的に眺めてみると、そういうさりげないノスタルジーをしばしば発見しますな(近作だと別冊コミックビームの読み切りとか)。

平成18年11月12日(日曜日)

今日

ドトールでマターリ。

いつのまにか和歌山・高野山ゾーンが消えていて頭に来る。今年の八月いっぱいで消えたらしい。こうやってどんどん不便になってゆく。

『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう? - 2500 年くらい前のギリシアにも、同じように「やるべき事は一つだろう?」と言った人がありましたな。クリトンって人なんだけど。それと同じ構図。しかしながら、「反証実験くらいやれよ」というのは全くもって正しい。

たぶん真実が毀損されても実害はあまりないんだよ。「喧嘩下手な」ソクラテスはクリトンの忠告を無視して死んでいったけど、それによって誰も困ってない。ソクラテスという名は現代では知らない人がいないほど人々の心に刻まれているけれど、彼が迂遠にも命をかけて守ろうとしたことは、結局現代でもあまり人々の心には刻まれてないように見える。それでも人々の社会はあれから 2500 年も続いてなお終わる気配はあまりない。国敗れて山河あり。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

平成18年11月13日(月曜日)

転載、引用、剽窃、盗用

この話に関係する言葉の使い分けについて。

この件に関してはこういうコメントも付けたけれど、ここで書いた「引用」については若干修正が必要だということをあらかじめ述べておこうと思う。

さて、件の blog のような行為を表現するための言葉として何が適切かというのを考えた場合、候補としては「転載」「引用」「剽窃」「盗用」の四つくらいが思い浮かぶ(「パクり」とかそういう俗語はとりあえず置いておく)。

とりあえず、私がこれから述べようとしている話の裏付けとして、広辞苑でそれぞれの単語を索いてみた結果を以下に「引用」する:

てん‐さい【転載】 既刊の印刷物の文章・写真などを他の印刷物に移し載せること。
いん‐よう【引用】 自分の説のよりどころとして他の文章や事例または古人の語を引くこと。
ひょう‐せつ【剽窃】 (「剽」は、かすめとる意) 他人の詩歌・文章などの文句または説をぬすみ取って、自分のものとして発表すること。
とう‐よう【盗用】 ぬすんで使用すること。
結論から言えば、この四つの定義を暗記してしまえばお終いではある。

ちなみに、「転載」のところに「印刷物」と書いてあるけれど、これは印刷物に限らず Web などのような形で「公にされた("published")文章など一般」と考えて差し支えなかろう(「転用」は違う意味なので念のため)。

まあ、上記引用で言い尽くされてしまっているようなものだけれども、これで終わると「それじゃあ引用じゃなくて転載だろ」という謗りを免れられない気がするので、めげずにもう少し考えてみよう。これらの言葉はそれぞれ微妙に重なっているけれども、明確にその守備範囲は異なっている。ある行為について某かのレッテルを貼りたい場合、これらのうちで exact cover に近いものを撰んで使うのがエレガントといえよう。そのためには、それぞれの守備範囲の重なり方を知っておいた方がいいだろう。

まず、一番混乱しやすいのが「転載」と「引用」の違いだろう。実際のところ、「引用」というのは「転載」の特殊なケースであると考えられる。「転載」というのは単なる行為を指すのに対して、「引用」というのは一定の条件のもとで行われる転載行為を指す。その条件とは何かというのを考えてみると、たとえば上の定義には「自分の説のよりどころとして」なんて書いてある。これをもうちょっと一般化すれば、「自分の言論をサポートする目的」かつ「あくまでも従となるよう配慮する」という条件を満たすことをもってはじめて「引用」となる。転載文の最初に「◯◯から引用」と書いたとしても、それは単に出自を示しているだけで、それだけで「引用」となるわけではない。引用の体を成していない件の blog においては、「◯◯から引用」ではなく「◯◯から転載」と書くのが適切なのである。

公の文献における引用についてはもう少し煩い慣例があって、著作権法が言うところの「引用」についてはこの基準が適用されると考えておくと安全だけれども(参考: wikipedia:引用)、ここでは面倒なので述べない。ただ、一つだけ述べておくと、 Web における引用についてはいまひとつこういう慣例が確立されていないということは注意しておこう。しかしながら、最低限「自分の言論をサポートする目的」かつ「あくまでも従となるよう配慮する」を満たしていることは必須といえよう。

「無断引用」という言葉についても述べておくと、引用というのは必ずしも許可を得なければならないということはないので(しかしながら上で述べた慣例上はもう少し煩いところがあるんだけど)、この「無断」には事実の指摘以上には何ら意味をもたない。しかしながら、多くの場合「無断引用」というのは「無断転載」のことを指しているので、この場合には「無断転載」と言うのが適切だろう。

次に、転載についてもう少し細かいことを述べると、転載には次の 3 つの形態が考えられる(引用を「許可を得た転載」の一部に含めることもできるけれど、瑣末な差だと思う):

  • 引用
  • 許可を得た転載
  • 無断転載
このうち、最初の二つは合法的で、最後の無断転載は非合法的なものとなる。

これを踏まえて、次に「無断転載」「剽窃」「盗用」の三つを比較してみよう。まず、この中で一番広いのは「盗用」である。「無断転載」も「剽窃」も「盗用」の一形態だし、「盗用」はさらに「非合法な翻案」までも含んでいる。「翻案」まで手を広げてしまうと話が発散するからそっちはこの程度で留める。ここで問題となるのは「無断転載」と「剽窃」の違いなのだけれども、この二つは明確に違う。「無断転載」はたとえ出自を示していても「無断転載」なのに対し、「剽窃」というのは出自を偽ることをもって「剽窃」と言う。もちろん、剽窃は一般的に無断転載的な行為を伴うのが普通なのだけれども、そもそも出自を適切に示さないのが転載に当たるのかどうかすら怪しい。

いずれにしても、困った時は「盗用」と言っておけば外れが少ない。件の blog も、ひょっとすると「許可を得た転載」かもしれないが、きっと無許可なので、ある種の悪意を含んだ表現をするのならば「盗用」としておくのが無難だし、一方で決して「剽窃」ではない。

最後にせっかくなので「パクり」という俗語についても述べておくと、この言葉は狭義と広義があって、狭義には「剽窃」ないしは「非合法な翻案」と同義であり、広義には「盗用」と同義であると私は思う。ごくまれに悪意をもって「引用」「許可を得た転載」までも「パクり」と呼ぶことがあるけれど、これはほどほどにしといたほうがいいだろう。

まとめ:

  • 「転載」「引用」「剽窃」「盗用」の定義を暗記して、区別して使うとエレガント
  • 糾弾するときにはとりあえず「盗用」と言ってみるのが無難
  • 無難な指摘のしかたは「それは許可を受けた転載ですか?」
  • 「無断引用」という言葉はあまり頭がよくないので「無断転載」と言おう

今日

MSとNovellの提携について(2) - 巷のよくわからん言いがかりに対処するために FAQ まで用意しなければならなかった Novell さんには素直に「お疲れさま」と言いたい。しかし、防衛的側面からクロスライセンス契約が結ばれることもあるのは常識だと思うんだがなぁ……。

BOM 無しの UTF-8 を UTF-8N と言うらしい。……どこの馬鹿だそんな用語を使いだしたのは。……まあそれは許そう。なんで BOM 有りを UTF-8 と呼ぶんだ。

BOM の取り扱いは難しい。 BOM 付き文字列を読み込むとき、実は BOM を取り除いてはいけないことになっていたはずである(記憶違いかもしれないが)。ちゃんと zero width non-breaking space の一つとして扱わなければならない。だから、 BOM 付き UTF-16 を UTF-8 に変換すると自然に BOM 付きになる。一方で、 BOM 無し UTF-16 を UTF-8 に変換すれば、それは BOM 無しになるのが自然なのだ。だから、「BOM があるかもしれないし、ないかもしれないもの」を「UTF-8」と言うのならばまだわかるんだが。

ぐぐっても日本語のページしか出てこないな。日本のアホが言い出したのか。せめて世界にバラまかれないように願う。

平成18年11月14日(火曜日)

今日

神保町寄ってきた。釣果: キラキラ100%(4) / 水沢 めぐみ

久しぶりにグランデのコンピュータ書籍コーナーを覗いてみたが、どこになにがあるんだかわからん。

そーいえばドトールの作りおきのサンドイッチがリニューアルしてた。

松下PLCは「屋外へ垂れ流し」「障害窓口ナシ」 - 松下を責めるのは酷だと思うけどなぁ。総務省の出してきた基準にはちゃんと則ってるんだから。筆者の思い込みで「これでは短波ラジオも、アマチュア無線も大きな被害を受けそうです」とか言われても読んでる側は眉に唾するだけだし、それどころか、全然関係ないストーブのリコールの件まで絡めるのは言論のやりかたとして悪質なものだと思うよ。まず自分の襟を正すところからやったほうがいい。

オーストリアからオーストリーへ - デンオンからデノンへみたいなもんか。かなり違和感が。

UTF-8N の亡霊

けんと様によれば、 UTF-8N は一時期標準化の議論はされたけど結局採用されなかった物なのではないかとのこと。また、一般に広く読まれている可能性のある文書で UTF-8N が使われている最古のものは、他でもない Mark Davis が 1999 年に書いた「Forms of Unicode」なのではなかろうか、とのこと(Web Archives)。

Unicode 2.0 が 1996 年、 Unicode 3.0 が 1999 年に出ているのだが、 UTF については 3.0 で扱いが大きく変わってる。 2.0 では単なる付録扱いだったのに、 3.0 では本体で一章割いて仕様を規定していて、ここで Unicode Encoding Forms と Unicode Encoding Schemes という二つの概念が導入されてる。上の「Forms of Unicode」にはこれがまだ反映されてないところを見るに(概念の萌芽は見られるが)、この文章は 3.0 の策定前に書かれたものなのだと思う。 3.0 策定における議論で、 UTF-8N も同時に導入が検討されたのかもしれない。

まあ、オーソリティがうっかり非標準名を使ったりすると、どこで将来遺恨を残すか分からない例ということで。

BOM については Unicode コンソーシアムが FAQ を用意しているくらいメジャーな問題ではある。昨日書いた BOM の扱いについては、ちょっと記憶違いがあった。

平成18年11月15日(水曜日)

昨日

おねがいマイメロディ―くるくるシャッフル!(2) - 上連雀先生過ぎる! 特に、この三人は絶対生えてる:

キラキラ100%(4) / 水沢 めぐみ - 今回はニキビに悩む回。さすがに想われニキビみたいな懐かしいフレーズは出てこない。

今日

エピゴーネン - きっと三日前に覚えた言葉を使いたかったんでしょう。

エピゴーネンとか亜細亜主義とか、独創性もなければ大して意味もない(本当は有害ですらあるかもしれないけどまあそれは置いとこう)類形化をして悦に入るというのも、人生のある時期においては必要なことかもしれない。

物事には因果関係と相関関係というのがあるのだけれども、日本に天皇がいたことと日本が大陸に進出したこととの間にどれだけ因果関係があるのかはよくわからない。むしろ天皇がいてもいなくても、「未成熟な民主主義(あるいは脆弱な国家体制)」「不満のある国民(あるいはそれを煽動するもの)」「文民統制の効かない軍隊」の三拍子が揃えば、勝てない戦争の一つもおっぱじめようってもんだろうな。いまの日本には「(あるいはそれを煽動するもの)」を除けばそんな要素はないので当面安心だ。

アメリカのロビー活動でロリ規制されることになった日本のエロゲーに国民の不満が爆発して第二次太平洋戦争を起こし、アメリカにぼっこぼこに負けてエロゲー三原則ができる、みたいな小説を筒井康隆あたりが書いてなかったっけか。書いてねえか。

写真

上の写真を撮ったついでに最近の写真をいくつか:








平成18年11月16日(木曜日)

今日

最近の NFL は、ちょっと何かやるとすぐオーバーセレブレーションに取られてしまうのでちょっと寂しい。

しかし、「プロ」とやらの文章はなんであんなに読みにくいのか。三回くらい読み返して脳内で添削して(というか要らない枝を削って削ってなので削削だ)やっと意味が分かる。一文一文につまらない修飾をくっつけて知識のひけらかしをするのがどうやら売文屋として必要な水増しテクニックらしい。俺も一文字拾円とかで仕事をしている売文のプロだから参考になる。

読み手としては、そういうのは筆者において思春期的に解決しておいてもらいたい事項の一つではあるな。

平成18年11月17日(金曜日)

今日

神保町経由。このところフィードの実装についての良い本がないかと探しているのだが、 Web開発者のためのRSS & Atomフィード / Ben Hammersley, 菅野 良二 くらいしか見当たらない。

三省堂に寄ってみたのだが、ここも本を探すのが難しい。件の本は「オライリーコーナー」にあった。しかし XML 関係の本は UML とか Java コーナーの横にあって、 HTML は遠く離れた Web コーナーにある、というような分裂ぶり。どうもどこの書店に行っても最近はこういう風に(内容ではなくて)読者層による分類みたいになっていて、どこに何があるのかわかりにくい。

しぼむ夢の構想・「PS3」は結局普通のゲーム機なのか【コラム】 - Qt 方式でいいんじゃね?

電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください!! - 切実だなおい。

平成18年11月19日(日曜日)

一昨日

縛り屋小町(1) / 竹内 未来 - ひょんなことから五色の糸の一つ白銀の使い手になってしまった女子高生の茅子は、糸の魔力で子供の姿に変わってしまい、白銀の力を開放してビューティーセレインアローを射るときだけ元の姿に戻る、そんな感じの漫画(一部嘘)。

親指からロマンス(7) / 椿 いづみ - 陽介の過去篇。主要な伏線の回収ではあるものの、この漫画の趣旨としてはなんとなく蛇足な気はする。むしろ番外編がよい。

カオシックルーンES(4) / 山本 賢治 - 無印組と合流。こういうのは「キャラが多すぎる」事態になる危惧が。もっともこの漫画の場合、主要キャラだろうがなんだろうがジェノサイドで整理できるような気はするが。次巻以降に注目。

昨日

吾妻川の方に行ってきたよ。

目的はコレ:

その他の写真:





今日

ドトールでマターリ。

TODO: ホテル予約(大阪 11/23,25), 乗車券 京阪神ゾーン(11/23)+東京→新大阪(111/22東北・高崎・上越・信越・北陸・高山・東海道・名古屋・新幹線)+京都→東京(11/26東海道), 乗車券(11/23 富山←→金沢), のぞみ特急券(11/23 名古屋→新大阪)

平成18年11月20日(月曜日)

今日

「LinuxユーザーはMicrosoftに借りがある」、バルマー氏が明言 - バルマー氏はあいかわらず良い釣りっぷりである。相手の怒るツボみたいなものを心得ておられる。そして、それにひっかかって真っ赤になって怒り狂う RedHat の偉い人が滑稽で微笑ましい。赤いのは帽子と肩だけにしておけ。

まあアホは置いといて、とりあえずどの特許を侵害してるのか明示してもらいたいものだのう。物によっては NetBSD にも影響するのだから。

音楽CD よつばと(音符記号)組曲「冬将軍」 / 栗コーダーポップスオーケストラを発注。

なんだかんだで野嵜さんの文章は面白いよな。どっかのプロとは違って、何より、自分の頭でちゃんと考えている。

もっとも、意見に賛同できるできない以前の、知的怠惰感あふれるインチキな主張を鼻がひん曲がるような悪文で記してあるような代物と比べて「自分の頭で考えている」なんて褒めかたをするのは、それは失礼というものかもしれぬ。