.木曜に bsdclub のルータの電源が壊れて夜中に復旧した。 .読書。 .ALMIGHTY×10(3) / 水都 あくあ - 双子の兄登場。 .To LOVEる-とらぶる(2) / 矢吹 健太朗, 長谷見 紗貴 - お前ら本当に乳首が好きだな。著作権侵害で削除依頼に爆笑。ノート見てさらに爆笑。てっきり作品自体が以下略っていうギャグかと思ったが違った。 .ロリコンフェニックス(1) / 松林 悟 - これはひどい(褒め言葉)。古賀亮一が帯を揮毫しているのだけれども、ノリとしては古賀亮一に変態仮面を足した感じ。近年まずます凶悪化する、少女たちを狙った犯罪。変質者から少女たちを守るべく、大輔(26 歳ニート・ロリコン・たぶん「」の末路)が立ち上がった! ゴクラクチョウの覆面を頭にかぶり、自称正義の味方「フェニックス」へと変身したのであった。日夜、覆面+上半身裸+サスペンダー+半ズボンという出で立ちで町田市をパトロールするフェニックス。どう見ても単なる変態です。ところが、彼の住む町田市には、全国 500 万人のロリコンどもが選んだ 2006 年ベスト少女、渡部未亜ちゃんが住んでいる。そして、フェニックスに負けず劣らずの変質者集団「BL 団」が彼女のことを狙っていたのだった! 未亜ちゃん、逃げてー(両方から)。そういう漫画。 |
.昨日。寝てた。 .今日。ドトールでマターリ。 .マイメロ。いろんな意味でひでえ(褒め言葉)。 .日常化するNHKの捏造棒グラフ - 細かいことを言えば、必ずしも 0 を原点にするのがフェアなわけではない。たとえば、円-ドルレートの時系列グラフを原点 0 円で書かれたら困る。そういう意味で、むしろ重要なのは値域と定義域なのだが(たとえばこれを見るべし)、いずれにしても機械的なルール化は難しい。 |
.C++ のテンプレートを使っていると、たまにギョッとする構文に出会う。たとえばこんなのはどうでしょう: template <class T> typename T::Type foo_proxy() { return T::template foo<typename T::Type>(); } .これはこういうふうに使う: なお、 int() は 0 を返します。 .C 言語の構文もそうなのだけれども、名前トークンが型名なのか何なのかが分からないとパースすらままならない。 C 言語でも C++ でも、以下のような文は A が型名かどうかで解釈が変化する: A *a;こういう事情によって C 言語は前方参照ができないので、関数呼び出しを除いて必ず宣言を必要とする。一方でテンプレートは決まった形をあらかじめ宣言しておくことができない上に、名前にはテンプレート名と非テンプレート名という区分もあって、これによってあとに続く不等号の解釈も変化するから、上みたいなこじれたことになる。なお、属性が分からない名前は「シンボル名」「非テンプレート名」として扱われるので、「型名」と「テンプレート名」として扱わせたい時には、上のように明示的に指定する必要がある。 .しかしもうちょっとなんとかならんもんか。根本的には C 言語の文法に全ての元凶があるんだけれども。 .もっとこじれた例: :: の左側はクラス名(または名前空間名)として解釈されるので、かろうじて get() 関数の呼び出しで「template typename」みたいな不格好な書き方は避けられている。なお、次のように書くだけで大分マシにはなる: template <class T> typename T::Type bar() { typedef typename T::Type Type; typedef typename T::template X<Type> X; X a = Type(); return X::get(a); }typedef の後の typename は一見冗長に見えて必須なのだけれども、多分関数型あたりとの兼ね合いによって、これは冗長ではないのだと思う。 .それにしても、 gcc-4 になってから C++ でコードを書くのに全く不安がなくなった。良いことだ。 |
.大変不幸なことに、また一つxxxxxが増えました。候補:
.読書。 .小川とゆかいな斎藤たち(1) / 茶匡 - 拙いけれども印象に残る。なかよしラブリーにはたまに新人のデビュー作が載っていたりするけれど、 5 人中 4 人くらいは眺める程度で読むところまでは行かない。ところが、茶匡センセイのデビュー作(この単行本に収録)は、なかよしラブリーに載った時にちゃんと読んでるし、読んだ時の印象が残っている。わたしゃ読んだソバから内容を忘れていってしまう方なので、これは珍しい。基本的にはワンパターンな話で、どれも「ヘタレな女の子が周りと仲良くなる」という形なのだけれども、マンガとしてのインパクトはあるやね。その源泉は拙さにあるのだと思う。作風は違うけれども、インパクトのベクトルとしては LaLa DX の「愛しの番長さま」と同じような感じ。こういう拙さは多分に読む人を撰ぶ気がするけれど、私は好きだな。 |