某日記

(後期)

平成20年3月24日(月曜日)

査収物

成恵の世界(10) / 丸川 トモヒロ - 和んだ。

BAMBOO BLADE(8) / 土塚 理弘, 五十嵐 あぐり - 未読

ながされて藍蘭島(12) / 藤代 健 - 未読

ラブリーズ!! / 東雲 水生 - 未読

パノラマデリュージョン(3) / 小原 愼司 - 完結。

宙のまにまに(4) / 柏原 麻実 - ホワイトアウト危険。

学園アリス(15) / 樋口 橘 - 未読

ネムルバカ / 石黒 正数 - ロックですよ。

それでも町は廻っている(4) / 石黒 正数 - 探検。

コンビニん / 和六里 ハル - いろいろアレ。

きんのたまご / 和六里 ハル - いろいろアレ。

夏のあらし!(3) / 小林 尽 - とりあえず一段落。

School Rumble(20) / 小林 尽 - しかしなんつーか堂々巡りだな。

ケンコー全裸系水泳部ウミショー(8) / はっとり みつる - こんなに可愛い子が以下略。

のだめカンタービレ(20) / 二ノ宮 知子 - のだめ特訓の巻。

昨日

家マシンが壊れたので問題切り分けたら DIMM が一枚死んでいる模様。永久保証品なので交換してもらう。店舗ではなくてサポートセンターなのに、おもむろに棚から代替品が出てくる不思議。なんか多い時は日に 20 とか出るらしい。こんなんじゃメモリ屋は儲け出ないだろうなぁ。

平成20年3月25日(火曜日)

今日

うめだもちおは DISられるべきなの? - 間違えて 5 年くらい前のスレを開いたかと思っちまったよ。そろそろ「オープンソースとは何だったのか」って記事が書かれるころだと思ってたところなのに。

梅田某の、独りよがりで全く内容の無い売文がキモいってのはわかる。うん うん。

バンブーブレード見た。話の収拾はついてきたけど、やっぱりアニメオリジナルストーリーになってからは完全に原作と似て異なるもんになっちゃた気がするのう。原作未完のアニメ化は難しいということだろうな。

結局は「タマちゃんが弱すぎで泣けた」ってところに尽きる気がする。

(´・ω・` ) よろーん

暫定税率廃止、1世帯平均3万2千円の負担減…民間試算 - 税金には富の再分配っていう役割があって、暫定税率は地域格差を埋める役割を担っているし、現状としてそれに収入を依存している人々というのがいる。暫定税率を撤廃すれば、税負担は減るけれどもそういう人々の収入も減る。そういう依存体質のよしあしについては考えるべきだが、悪いとなった時に「じゃあ明日から廃止ね」で済むなら政治なんて必要がない。

まー私なんかはどっちかといえば減税による受益者の方に入るからそれでもいいんだけどさ。もともと地域格差なんてものを問題視してないし。

そもそもこのへんの一般財源化ってのは小泉内閣の時にも検討されて、「聖域なき改革」というスローガンを考えればこれは当然のことだけれど、結局は道路族の反対で果たされず、党内をまとめるために郵政民営化とのバーターに供されたっていうイメージがあるんだけれども、いずれにしても小泉改革に近い路線なわけで、みんす党はもしかして自ら小泉改革路線を引き継ごうとしてるんですかねぇ。

皮肉は置いといて、これは単にみんすが無方針に政府いじめをしているだけという証左であろう。そういうグランドデザインの欠如が今の政治の根本的な問題で、これはみんすだけではなくて自民も同じ状態にあるような気がする。小泉再登板待望論なんてのも、そういうところから出てくるんだろう。

平成20年3月26日(水曜日)

今日

金・土・日と旅行に行くことにしたのでいろいろ検討。とりあえず木曜の夜行と金曜の宿は取った。

いやまあ、揃いも揃って 5 年前くらいに出尽くしてるような話を蒸し返してるだけってのがねえ。だからこそ「オープンソースとは何だったのか」が必要だっちゅーことなんですが。

そうそう、この話をもう少し面白おかしく読みたいと思う人は、「オープンソース」という文字列を脳内で片っ端から「萌え」に置換してみるとよろしい。まー要するにパターン化してるんですよホント。

平成20年3月31日(月曜日)

週末

諸事情により金曜日に休みをとった。せっかくなので西に旅行。

3/27(木) - サンライズ出雲

3/28(金) - 出雲市→スーパーおき→小郡→ひかりレールスター→広島→普通列車→宮島

出雲市では珍しく御参りせず。しかし四月から平成の大遷宮が始まるから、御参りしとけばよかったかなという気もする。一時間半の間合いがあったので駅前で風呂に入る。

久々に出雲市以西に行く。スーパーおきのエンジン音そのものの音質は悪くないんだが、うるさい。せめて防音だけはもうちょっと何とかならんもんか。

宮島。出発時、東京の桜はだいたい八分咲きだったのに、山陽地方には全然咲いてないのはどういうことだ。

3/29(土) - 宮島→普通列車→岩国→バス→錦帯橋→バス→新岩国→こだま→広島→のぞみ→岡山→やくも→新見

あなごめし食ったうまかった。

のぞみ+やくもの指定券と宿は決まっていたので、そこまでどう時間を潰すか考えたところ、まあ例によって錦帯橋ということに。宮島からだと広島に出るより岩国の方が若干近い。

とはいえ新岩国はこだましか止まらないのと、岩国からバスで 30 分くらい山奥に入ったところなので、割とシビア。それでも一時間半くらいの時間は確保。

んで広島出たが、一本前のレールスターでもよかったな。のぞみは混む。

岡山からやくも。伯備線も乗り慣れてしまったので、どうも物足りない。

新見。城山も全然桜が咲いてなくてがっかり。となると新見には何もない。本当に何もない。ふて寝。

3/30(日) - 新見→普通列車→津山→ことぶき→岡山→普通列車→茶屋町→普通列車→宇野→国道フェリー→高松→うずしお→池谷→普通列車→鳴門→普通列車→勝瑞→うずしお→高松→サンライズ瀬戸

ひどい雨。もともと津山城でも見物してから宇野線乗り潰して高松からサンライズ瀬戸で戻ろうと思っていたのだが、どうせ津山城も桜咲いてないだろうし雨もひどいしで、予定を変更して鳴門線乗り潰し。

サンライズの寝台券を高松からにしてあったのにはいくつか理由がある:

  • フェリーに乗りたかった
  • 雨の場合を想定してた
  • 寝台車には始発駅から乗りたい
なお、サンライズを岡山から乗ることにしておくと次のようなメリットがある:
  • 寝台数が倍になる
  • サンライズの特急料金に乗割が付けられる
まあ、なるべく節約したいときとか、サンライズ瀬戸の空席が取れない場合には、快速で岡山に戻るという手も使えますな。

フェリーではうどん食った。国道標識は見忘れた。雨がひどいのでフェリー乗り場からタクシー。

鳴門から勝瑞まで来たとき、車掌が「上りうずしおは二番線で待て」とアナウンスしていたが、駅の時刻表見たら一番線と書いてある。どっちも信用できないので跨線橋の上で待っていたら一番線の方に入ってきた。

というかほとんどのうずしおは一番線なんだが、どうやったらそういう間違いをするんだろう。

下りうずしおは混んでいたが上りうずしおはガラガラ。これなら指定席取らなくても良かったな。一号車を一人で独占。そうそう、四国特急→高松→サンライズは前者の特急料金に乗割が付けられるので忘れずに。

高松で四国内時刻表を買ったので眺めていたら、他の運賃規則とかはあまり載ってないのに、運休と遅延の扱いだけはちゃんと書いてあった。

これ読んでて、ふと、サンライズみたいな長距離列車に乗っておいて、適当な手段でこれを支障させて二時間以上遅れさせて、最後に着駅から無賃送還してもらうような悪用はされないもんかと心配してみたり。普通の人は着駅の外に出ることに目的があるからそういう悪用には意味がないけど、ほら、乗るのだけが目的な人ってのがいるじゃない。

高松。噂をすれば影というか、サンライズ出雲が伯備線信号故障で遅れている関係で、こっちも時間調整で 30 分遅れ。信号壊したの俺じゃないぞ。岡山の番線に余裕があれば延々そこで待たせておけるんだろうが。これだと児島まで乗る車掌さんが大変だな。

3/31(月) - 東京

結局 10 分延まで回復して東京着。

コンコース地下が出来てから朝飯が楽になったわー。

今日

もはや FreeBSD 方面とはほとんど交渉がないけれど、そもそも友の会って大して大袈裟なもんじゃなかったはずだがなぁ。ML が動いてるだけで十分といえば十分で、それ以上は必要がなかろう。

というか「アクティブじゃないと意味がない」って考えてるような暑苦しい奴って昔も今も変わらずに居るもんなんだなあ、と、そういう人々をおちょくっていた昔が思い出されて、ちょっと懐かしくなってみたり。

純粋な開発方面は、例の newconfig あたりの騒動によって日本ローカルでやってるとロクなことがないよねってことになったし、世の中の回線も太くなったから、わざわざ日本でやる理由もないということなんだよな。

暫定税率廃止はヤバいねえ。4 月は給油できなくなるかもしれんよ。というのは、

  1. 5 月にまた上がる可能性があるからその前に買っちまおうと需要が急上昇する
  2. この場合、市場原理が理想的に働けば、減税分がほぼそっくり値上げされないとおかしい - もちろん 5 月に戻る可能性は 100% ではないし、多少は供給にも余裕があるだろうから、その分は下がるだろうが
  3. ところが、そんなことをすれば元売りその他がマスコミからフクロにされるのが目に見えてる - 自然の摂理なのにね
  4. 結果として、供給不足が価格高騰によって抑え込まれるという現象が起こらないから、確かに値札は安いけど、どこにもその品物がない、という状態になる - まあどっちにしろ元売りは叩かれるんだがな
  5. そしてみんすが吠える - おまえらのせいだっちゅーの
という感じ。

首相は難しいところだろうねぇ。もし本当にそういう状況になったら、混乱をおさえるために、4 月の早い時期に「もう暫定税率は諦めます」と言わざるを得ない状況に追い込まれるかもしれない。これは、本当はすごく恐ろしいことなんだよ。

そういう状況になっても最後まで忍耐できたら、ちょっと福田首相を見直すかもしれん。

実際には、税金は元売りで掛かるらしいので、こうすっぱり行かないみたいだが、いろいろ死屍累累になりそうだねえ。

逆に、ガソリンなんてそんなに買い溜めできないから、そこで需要が頭打ちになって結果として品薄にならないというシナリオも十分ありうるんだけど、結局はそこまで持たせられるだけの供給力が元売り各社にあるかどうかってことだわな。

「あ」の優劣。 - 私には優劣を付けることの何が問題なのかわかんないんだけど、たとえば、得られたスコアをある閾値で区切って、そこから上を 1.0 、下を 0.0 とすれば、「あ」と識別されたものの間に優劣は発生しませんわな。え、そういうことじゃない?

工学的見地からすれば、結局こんなの統計の問題であって、「優秀な『あ』」というのは「『あ』と判定される確率の高い『あ』」でしかないし、「劣等な『あ』」というのは「『あ』と判定される確率の低い『あ』」でしかない。つまり、優および劣をそう定義して言っているに過ぎない。

ただ、ひょっとするとメダパニを解くヒントになるかもしれないことをいくつか述べておこうと思う。

まず、この話では「あ」みたいな単一音素だけを問題にしているけれど、直感的に考えて、音声を単一音素の列に分解するという方法は、必ずしも十分な品質を得られるとは限らなそうですわな。

つまり、リアルな人間を完璧に模倣した音声認識装置の下において、「劣等な『あ』」「劣等な『さ』」「劣等な『ひ』」を発する話者が発した「あさひ」という言葉が、必ずしも「劣等な『あさひ』」と判定されるとは限らない。また、別の人が「劣等な『あさひ』」の持ち主であったとしても、その人が発した「あさひしんぶん」という単語が「劣等な『あさひしんぶん』」と判定されるとは限らない。逆に、「あ」「さ」「ひ」をさらに母音と子音に分解していくこともできるが、いずれにしてもこれらの間の関係は必ずしも単調ではないと想像できる。

こうやっていくと無限の組み合せが発生するけれども、多分これは全くの無秩序ではなくて何らかの秩序がある(そして、これを完璧にこなす音声認識システムは、適切な出力装置を取り付けることによってチューリングテストをパスするだろう)。これは単にシステムの技術的な複雑さの問題。ただ、単純に技術的な複雑さといってもピンからキリまでかなりの幅があるといえよう。

脱線するけども、最近講談社文芸文庫から出た吉行淳之介の「やわらかい話2」に木久蔵師匠との対談が入っていて、木久蔵師匠、医者から聞いた話として「電話をすると精子が減る」という珍説を述べている。なんでかというと、電話というのは対面で話をするのと比べて向こうが見えない分ずっと気をつかうので、その気苦労で精子が減るんだと。まあ端から聞いていればバカバカしい話だし、その帰着の正否は置いとくとしても、しかしながら一つの本質を突いていますわな。

ところで、そういう説を考えれば普及しても良さそうなものなのに、テレビ電話って全然流行らんですな。不思議不思議。本当にどうでもいいことだけど。

もうひとつは、モデル化のモデルとして何を選ぶか、という問題ですな。たとえば、どっかの方言にどっぷり浸かった人間の認識をモデルに選べば、標準語の認識率は下がると予想できる(優劣という言い方で言えば「標準語は劣る」)。大事なのは、これが技術の外にあることなんだと明確に認識しないといけないってことでしょうね。これを技術の問題として捉えると、なんか技術が優劣を決めているような気になるけど、全くそうじゃない。技術は単にモデルの代弁をしているに過ぎない。誰が聞いても「あ」なのにスコアが低いんだとしたら、それは選んだモデルないしはモデル化手法が悪い。

ただし、私たち工学屋もこういう問題に対してはそれなりに注意深くならないといけなくて、優とか劣とか言うと何か勘違いしちゃう人もいる。それを別の言葉に言い替えるというのも、時には必要なんだろう。そういうことかもしれない。

またまた脱線するけれども、こないだニュースを見ていたら、ウクライナとどっか旧ソの国を NATO に加えるかどうしようかっていう話をしていて、私にはどうでもいいことなので聞き流してたら、アメリカの高官が「ネイドゥ」「ネイドゥ」言っている。何のことかと思っていたら、どうもこれが NATO のことらしい。私からすれば「ちゃんと NATO らしくナトーって言いやがれ」とか思うんだけど、冷静に考えればどうもこれは私の方の分が悪い。

で、私、一人ぶつぶつとウィスパーボイスで「と」「ど」「と」「ど」繰り返してたのだが([ei] [ou]は許そう)、どうも日本語の「と」と「ど」は単なる有声無声の違いだけではなくて、微妙に調音点も違うような気がしてきた(両方とも歯茎破裂音ということになっているけど)。そして、その高官の英語では有声か無声かの別を除けば [t] と [d] に区別がなくて日本語の「ど」に近い調音点で発声してるんじゃないかというような気がする。とどのつまり、単なる素人考えですが。

閑話休題。形容詞と名詞という話に関しては、世界は広いので、そもそも形容詞はあるけど名詞がない言語とか、形容詞はあるけど名詞がない言語ってのがあったような気もする。結局本質的には両者の間に差がないのかもしれない。この辺は多分哲学者あたりに聞くと嬉々として教えてくれそうだが、彼らの大部分は宇宙語を話すので私たちには理解できない恐れがある。

何が言いたいんだか分かんなくなってきたけど、キリがないのでこんなところで。