某日記

(前期)

平成18年1月1日(日曜日)

あけおめ

ことよろ。

今年は頑張って NEET になるぞ。

一昨日

GORRY さんから「とりかえ風花伝 4」を分けてもらったので、 読んで寝た。 通販は天水花苑から。

昨日

家で寝てた。至福。

去年の運勢

仕事運: 下り坂。安穏とした生活はあまり変わってないけれど、 他の会社と比較した場合の優遇度はずいぶんと下がったといえよう。 弊社的には「失われた 10 年」を脱したと考えて良い。

カタストロフィーを見届けるつもりで残っていた私としてはしょっぱい展開。 経営判断のマズさでどっかの部門が無茶苦茶な赤字を垂れ流してても、 プロダクトが中途半端に売れちゃってたからなあ。 もうちょっと早く、プロダクトが死に体になってれば面白かったのになあ。 まあ結局、経営責任は問われずじまいなので、 同じことを繰り返すだけなのではないかという気もする。 まあ頑張ってね、という感じ。

恋愛運: 長い冬の時代。

金銭運: 実働時間で割ると、なかなかのもんだよ俺(時給 2 万円くらい)。 でも、もらえる総量はどうやっても変わんないので、大して収入は無い。

マンガ運: 一時期に比べると、だいぶ読む量は減った。 置く場所が無いので「とりあえず」的な買い方ができなくなった。 私としては、なかよしラブリーで一年間楽しめた。

2005 年の一冊を挙げるなら、 まあやっぱり「KISS MEダーリン×3!! / 水無月 真」 ほどツボに入ったものは無かったのう。 水無月センセイはこの単行本の後の作品もコンスタントに良い。 水無月真、山田デイジー、さくや一歩、咲良あさみ (ステンシルが無くなったときは心配したぜ)あたりの新鋭陣もいいし、 山名沢湖、川村美香、征海未亜あたりの中堅・ベテランもよい。 ちゃお方面は、明野みるがおバカで良かった。りぼんはパッとしなかったね。

読書運: マンガ以外の本は、 日記には書いてないけど、なんだかんだで 50 冊以上は読んでるな。 最近あまり電車の中で読む時間がない。最近のおすすめは寺田寅彦かな。 寺田寅彦の科学的感覚の確かさは現代にこそ生きてくるのではなかろうか。 ちなみに青空文庫でも読めるぞ。

交通運: 岡山さんの呪いに良くひっかかった一年であった。

健康運: 可もなく不可もなく。体重が増え気味なので注意。

今年の抱負

NEET になる。

風太くんを観に行く。

そういえば去年の抱負はどれ一つとして達成されなかったことをここに報告いたします。

平成18年1月2日(月曜日)

今日

初詣。

某 K 明神(伏せずとも自明)で巫女分補給。

夕方、雨の止んだ浅草寺が例年になく空いてた。 普段は雷門の混雑を避けて六区の方から入るのだけれども、 今年は雷門から余裕で入れた。

夜中

メール環境を gigalandisk に移行。やっぱり遅い。

「やぶうち優 ROMANTIC」はどうしたものか。 元の本を全部持ってるのが悩ましい。

ふと、「あけおめ」って略し方は関西ではヤバげなのではないかと思った。 くぱぁ。実に愛でたいおめ出度い。

寝台特急あけぼぼ号とか思いついたけど正月から下らなくてすみません。

それで思い出したが、今年の年末年始に設定がなかったあおもり号が心配です。 もっとも、設定があったとしても羽越線が不通なので運休だったわけだけれども。

日記といふものをしてみむとてし始めて今年で 8 年目だということに気づいた。 だから何だってこともないけれど。

平成18年1月3日(火曜日)

今日

ドトールでマターリ。

疑問

自由席特急券って普通は経由が書いてないけど、 大阪から鳥取までの自由席特急券ってのは 「東海道・福知山・山陰」と「東海道・山陽・智頭急行・因美」 の二通りが考えられるから、やっぱり経由が書いてあるんかな。 時刻表の早見表をみると確かに料金が違うのだけれども、 券面はどうなってるのだろうか。

あえて指定すれば「東海道・山陽・播但・山陰」 なんてのも出してくれるんかな。 「鳥取まで買ったけど急に姫路ではまかぜを降りたくなるかもしれない」 とかそういうケース。

まあ乗車変更しろよってなもんですが。 使用開始後も区間変更は可能で、ただ差額の過剰分が戻ってこないだけだから、 「東海道・福知山・山陰」のほうがもともとの距離が短い分安く済む可能性はある。

URL晒し

日本一わかりやすいとまでは言えない「URL晒しがダメな理由」 - まあ「リンクはどこまで自由か」問題の変種やね。 タイトルほどには URL 晒しをダメだとは言っておらず (というか結局は「ダメだとは言い切れない」というところに至ってるやね)、 比較的中道な言説といえよう。

ちなみに、「閲覧者の選別を壊す直リンク」については、 「リンクはどこまで自由か」の話の過程で既に反論が用意されている --- 選別を壊すような方法で見られたくなければ、 選別を強制するような手段を講ずることによって解決すべきなのではないか。 それは、技術的に可能である。だから、これはリンクする側の問題ではなくて、 される側の問題に過ぎない --- これに対する再反論ももちろんあるけれど省略。

程度の違いみたいなものを無視して言えば、 どんな形であろうと批判や中傷による結果は批判や中傷を行った者の責任に帰すべきものであって、 あらかじめ良いとか悪いとか言えるようなものではないから、 URL 晒しという形による批判や中傷に関しても単にそれを良いとか悪いとかいう言い方はできなくて、 せいぜい啓蒙的な言説しか正当性を持ちえないんじゃないかと思う。 そのへんが「わかりにくさ」の源泉かのう。

しかしながら、「程度の違いみたいなものを無視して言えば」と書いたけれども、 「『程度の違い』も度が過ぎるともはやそれは『質の違い』である」 という観点からすると、 リンクないしは URL 晒しというものが起こしうる影響の程度や、 批判や中傷を行う者の気軽さの程度というのを鑑みた場合に、 これをいままでの批判や中傷と同じ質のものとして取り扱ってよいのか、 という論点が発生しうる。 この文章にも、その辺の性質への言及があることは評価できる。 逆に、そのあたりを無視するのは実にあさはかであろうな。 なお、この論点について書き出すと長くなるので省略。

まあでもいずれにしろ、どうやっても URL 晒しは無くならないので、 とりあえず晒される側が賢くなる以外に 効果的な対処の仕様はないのではなかろうかという気がする。 「泥棒はダメ」のような純粋啓蒙主義には実現性もスピードも足りないので、 「戸締りをちゃんとしよう」のような対症療法的啓蒙主義のほうがまだ見込みがある、 みたいな(別に URL 晒しが泥棒と同類だと言ってるわけではないので念の為)。

平成18年1月4日(水曜日)

今日

買い物。

ヨドバシぶらぶらしてたら、 家のヘッドホンのイヤーパッドがまたもやボロボロになっていたのを思い出した。 でも、いままで porta Pro のイヤーパッドが店頭に置いてあるのを見たことがない。 純正品にこだわるなら取り寄せるしかないのだが、 SONY の「EP-G1 スペアーイヤーパッド」という奴が似てたので買ってみた。 ペアで 252 円。純正品は確か 100 円しないので、ちょっと割高。

家に帰ってつけてみたら、純正品よりも折り返し部分の幅が広いので、 コード引き出し部分でちょっと持て余し気味だったりして、 ジャストフィットとまではいかないまでも、しかし全く問題ない。

やぶうち優 ROMANTIC

買ってきたよ。

比較してみると、「ぷちづま」にかなり手が入ってるね。 オリジナルにはカラーページが 4 ページありましたが、全部白黒になってます (左:オリジナル、右:ROMANTIC):


オリジナルの表紙がモノクロ化されて目次のカットに来てますな。 ちなみに、オリジナルの「ぷちづま」の表紙はこんなの:

本編もトーンがだいぶ張り替えられてたりしますが、 やっぱり顕著なのはこれでしょうな:

B 地区なくなったかわりに、下乳とかの影にトーンが。 GOGO ICHIGO といい、B 地区を取るのが最近のトレンドなんでしょうかね(ぉ しかし、児ポ法が改正されたらこの絵は捕まるぞ。

「銀色童話」と「もう逢えない君に」は本編は変わってなくて、 ただ表紙がモノクロ化されて中に移ってるだけ:

まあ、正直もとの本を持ってるなら買わなくても良いと思われ。

少年少女

しかし、いま復刻ないしはコミックスに収録すべきなのは、 むしろこれではなかろうか:

「少年少女」。もともと学年誌の別冊に掲載されてたのだけれども、 その後コミックスには入らずに「3つの季節の少女たち」 という同人誌に収録されてる。

内容は、小学校ではサッカー大好きで男勝りだった葉月ちゃんが中学に入って、 嫌でも自分が女であることを自覚させられる、という話。

しかし、やぶうちセンセイのっけから飛ばしてます。 慣れないセーラー服を着て中学校に登校したら、 同級生の男子からからかわれたので怒った葉月、 いつものズボンの感覚でケリを繰り出したら当然パンツまる見えという仕儀に:

ちなみに、こういう風に「☆」を散らすのは、やぶうちセンセイお得意の手法。 多分、わかつきめぐみあたりの影響なのではないかと思う。 絵柄は大きく変わっても、「☆」と「どきーん」だけは変わらない。 絵柄という話をすると、 このころのやぶうちセンセイは毎年のように絵柄が変わってて、 これはちょうど少女少年 II から III のころの絵柄。

んで、小学校のころのような感覚で男子とじゃれあっていたら、 ほかの女子からお小言をもらい、 「これだから女子は嫌だ」とふてくされてトイレに行く葉月。 しかし、 そこは第二次性徴を描かせたら右に出る者がいないやぶセンセイですから、 絶妙のタイミングでアレがはじまるわけです:

そういう事情で、身体的にも精神的にも元気がないそんな時、 サッカー部の入部試験に誘われる。 中学校に入って諦めるつもりだったサッカーだけれども、 はりきって試験を受けにゆく葉月。 しかし、 そこは第二次性徴を描かせたら右に出る者がいないやぶセンセイですから、 すんなりとはいきません:

ふくらみかけは痛いみたいですな。 生理の影響もあって結果は散々、最後はボールに当たって失神してしまいます。

んでまあ、結果的には段々と女の子らしくなっていく、 みたいなところに落ち着くわけです。 「ないつぼ」のコミックスの埋め草にちょうどよいと思うんだけど、 どうでしょうねえ。

なんてことをやってたら

旅行の準備が全然できてない。どーしよう。

平成18年1月5日(木曜日)

今日

今日は登校日なんだー。

出雲号で西へ。 わざわざ「撮影のために停車中に車外に出るのお断り」とか言っておるな。

平成18年1月6日(金曜日)

昨日

となグラ!(3) / 筧 秀隆」読んで寝た。

寝ようとしたけどあまり寝られず。 氷か何かが屋根にぶつかる音がしたので外を見たら、どうみても関ヶ原です。 冬の夜に通る関ヶ原は趣がある。 堪能したければ、時間の早いはやぶさ富士のほうがいいけど。

京都。さすがに機関車付け替えを見に行く気はせず。

夜に京都を出て東海道線と離れていく時の趣ってのもこれが最後かのう。 上り出雲で京都に入っていく味というのも趣があるのだけど、 これはもう機会がなさそうだな。

そうこうしてるうちに寝た。

6:45 おはよう放送。やうやう白くなりゆくやまぎわ。

7:00 香住。定刻。

7:15 餘部鉄橋

7:21 浜坂

食堂車で車販(〜鳥取)

7:58 鳥取。

「652 5 分延」言ってるので調べたら因美線の普通列車 652D。接続まち。 結局 4 分延。

鳥取から先は割と電波が入るな。

倉吉と米子 5 分延着。米子の停車で回復。

安来交換待ちで 3 分延。

松江 3 分延着、定時発。

宍道、出雲市は 3 分延。

一畑電鉄で出雲大社。

割子そば食べてバスで帰還。

出雲市から電車で米子。気動車じゃなくて残念。 アクアライナーでも予定の列車に間に合うのだが、 4 分のりかえとなるといろいろ難が。

米子。10 分のりかえで 1537 の境線の列車にも乗れたのだが、 そのまま最短で行っても吉備線の接続に難があるので、一本パス。

境線往復。こういう路線の常として、海に近いくせに全然見えない。 乗ったのは鬼太郎塗装の 40+47。126 とよくすれちがう。 鳥取県内は最後まで国鉄のお古が頑張ったおかげで、 置き換えが 120 じゃない分まだマシだな。

スーパーやくもで新見。 地方幹線の常として、国境越えは特急を使わざるをえない。 最初から最後まで 5 分延。単線はしょうがない。

普通列車で総社に出て、吉備線で岡山。 どうも総社は伯備線と吉備線の接続がシビアだな。

2100 ホテルに荷物を突っ込んで城を見に行った。

せっかくなのでボクデンで飯食った。

平成18年1月7日(土曜日)

ナンシーより緊急連絡

寝過ごしちゃった。てへ。 めざまし鳴らし放題寝放題という新趣向。

つーても宇野線をパスするだけだが。盲腸線を残すのは面倒くさい。

平成18年1月9日(月曜日)

昨日

帰ってきたよ。

今日

ドトールでマターリ。

ぐるぐる

続・新聞勧誘 - 「私文書偽造罪で告発するから、その販売員の名前を教えろ」 と言うといいでしょう。

実際のところ、 本当に私文書偽造の告発の要件を満たしてるのかどうかは知らんけど。

しかしホント、マスコミってのは頭から末端までクズが多いよなぁという印象。

新春長文大会(1) - リスクとタブー

年末にやってた NHK の世界潮流 2006 「エネルギー最前線」は割と面白かった。

いくつか面白いネタはあったけれども、とりあえず表題の件に関することだと、 「原子力に関しては、規制志向から確率志向にしたほうが良い」 という発言がなかなか良かったと思う。 曰く、 「日本は一律に規制を定めて、 その枠内であれば絶対に安全という形を取るけども、アメリカでは 『これだけやれば事故は 1 億年に一度の確率で起こります。 さらにこれだけやれば 10 億年に一度まで減らせます』 みたいな確率志向になってる。 事故の確率は 0 にはできないという前提があるんですね」 という感じ。

まあ原子力の場合は必ずしも事故の起こる確率だけではなくて、 事故が起きたときの被害の大きさも無視できないので、 わたしゃその是非についてはあまり立ち入らないことにしとくけども (ちなみに上記番組は肯定派しかいなかった - まあエコノミストはそうだよな)、 安全対策のコスト対リスクの関係を定量的に提示するという考え方は、 これから原子力に限らずいろんな分野で重要になっていくんじゃないかと思う。

しかし、こういう方法にも問題がないわけではなくて、 次のような外的内的な問題があると思う:

  • 正確な「量」の見積もりが難しい
  • 事故を前提とした議論がタブー視されがちである

前者に関してはさらに、「統計の不完全さ」という内在的な問題と、 「統計を見るものの未熟さ」「統計を恣意的に操作する者の存在」 という外在的な問題が存在する。 これらに対する完璧な対策というものが不可能であることは 先ず認めなければならないとして、 しかしながら、「統計の不完全さ」については 「継続的な調査研究による改定作業」で順次減らしてゆくことが可能であろう。 まがりなりにも「確率志向」というからには、 統計確率の正確さそのものも確率で考えて初めて「確率志向」と言えるわけで、 そのための方法もすでにある程度は用意されてるのだから(危険率とか)、 そういうものを活用しない手はない。 「統計を見るものの未熟さ」「統計を恣意的に操作する者の存在」についても、 「見る人間の数を増やす」とかそういう方法で、 リスクを減らしてゆくことは可能だと思う。

本当に難しいのは後者の方だと思う。後者に関して、 個人的には「タブー視」するような人の感情も分からなくはない。 ただせめて、議論そのものをタブー視し、 議論をスポイルするための積極的な行動を行うことだけはやめて欲しいなぁ、 と思う。

結局のところ、物事ってのは究極的には善悪なんてものには帰着せず、 単に程度の問題にしか帰着できないので、 あらゆる選択肢の中から利益を最大にしてリスクを最小にするようなどれかを 選ばなければならない。 エネルギー問題を例に出せば、 盲目的に原子力の危険性だけを忌避するだけではだめで、 石油燃料による環境の悪化による危険性との比較で考える姿勢が、 とりあえずは重要。

ただ、ここで一つ注意しておきたいことは、 上で「あまり立ち入らないことにしとく」と書いたことに関連するけれども、 「原子力の危険性ってのは、 重大な事故が一回でも起これば一瞬にして世界を滅亡させるという ハルマゲドン級のものだから、 とりあえずそれを盲目的に否定しておいて、他の可能性を全力で模索する」 というスキームの価値を、私は否定できないし、 こういう考え方も否定しちゃいけないかなぁ、というところかのう。 究極的に科学的な方法は人間の存在なんて意に介さないようなところがあるので、 それこそ「人間なんていないほうが良い」という結論が出かねない。 タブーそのものは人間が人間であるための安全弁として必要なのかなぁとも思う。

話が横道に逸れかかってるけれども、 結局は、どこでタブーを持ち出すかというレベルの 問題なのではなかろうかと思う。 少なくとも、リスクの議論にタブーを持ち込むのは厳禁ではなかろうか。 そこでは、あらゆる可能性を純粋に科学的に模索する姿勢が必要であり、 タブーという経験則的なものとは別のレイヤで 論じるべきものなのではないかと思う。混ぜるな危険。 せめて、それくらいの科学的感覚が人々には欲しいところである。

結論: 寺田寅彦の随筆を読みましょう。 いや、これと同じようなことは、 寺田寅彦が戦前の時点で既に言ってるようなことであって、 いまだに世間は寺田寅彦に追いついてないのだろう。

新春長文大会(2) - 骨太役人待望論

上で書いた番組で、別のパネリストが 「石油政策に関して官庁の人間に尋ねると、 『今は政治主導民間主導ですから』という答えが帰ってくるし、 実際に各石油会社がめいめいでやっているような状態。 いつのまにか石油政策に関して誰も責任を持つ人がいなくなってるのでは」 なんて言っていた。

あるいは、去年の日記でも書いたけれども、 鉄道事故に関しての国土交通相の他人事のような発言なんかをみても、 どうも最近、官が迷走してるなあという印象を受けるのう (国交相はまあどっちかといえば政の側だけど、官の責任者でもある)。

最近の流行は「小さな政府」だけれども、 これは決して官の役割が無いということではなくて、 官にしかできないことを政府機能として残すという話だと思う。 官が不要ならば「小さな政府」どころか 「無政府」で良いということになりかねない。 おそらく「小さな政府」で現在のところ一番成功してるのは アメリカなのだけれども、 実際にはかの政府は職員が何万人もいたりするので、主観的には小さくない。 それでもアメリカが成功してるように見えるというのは、 つまりはそれくらいの人数がいても、 それがミニマイズの結果の必然であるという説得力があるからなのだと思う。

ここで言いたいのは、もちろんアメリカに倣えなんてことではなくて、 いかにして説得力のある政府組織を組み立てるかということだと思う。 結局のところ、なかなか役人の側からはそういう改革はできないので、 これは政治の役割なんじゃないかと思う。

小泉改革政権に対しましては、骨太改革もいいけれど、 役人を骨太にする改革もお願いしたいなぁと思う所存。 近年、なにかと役人が悪者にされてきているし、 実際その理由が役人の側にもあるのは事実だけれども、 だからといって役人が不要なわけではないから、 質の高い役人組織を組み立てるスキームこそが必要なんだろうね。

まあ僕ぁ中道左派かつケインズ主義好きなので、 役人にはもうちょと頑張ってほしいところです。

新春長文大会(3) - 秋葉原雑感

夕方、身仕度しながら報道番組見てたら秋葉の話をやっていて、 「またか」と思いながら歯を磨いたりしてた。 そのままシャワーを浴びに風呂に入ってしまったので、 内容はあまりよくわからなかったのだけれども。

それにしても、このところの秋葉ブームは何なんだろうね。 まあ、今のメディアの取り上げられ方は一過性だと思うのだけれども、 それは置いておいても、どうも何か質的な変化を感じる。

そういう質的な変化に対して、 「なあに、いままでも秋葉というのは繰り返し変化してきたのさ。 だから、今回もそれと同じ」 という超然とした態度も取れると思うのだけれども、 私はどうもそれには微妙な違和感を感じる。

秋葉の客層を一枚の織物に喩えると、 確かに、時代に応じて横糸は変化してきたと思う。 つまり、無線マニアや音キチ、パソコンマニアと、 さまざまな色の横糸があった。 しかし、横糸がどんなに変化しても、一貫してそこに存在していたのは、 縦糸としての「ホビー」だったのではないか。

しかるに、今はというと、 まだ確かにごくわずか、ホビー層というのは存在してはいるものの、 しかし実質的に今の秋葉の客層の縦糸になっているのはホビー層ではなく、 エンターテインメント層とでもいうべき層なのではなかろうかという気がする。 どのへんからそうなったのかというと、Windows95 とか、同人誌の隆盛とか、 その辺に萌芽があったんだろうね。

「織物の縦糸と横糸」なんて喩えをしてみたけれども、 これをグラフの縦軸と横軸に据えてみる、なんてのは、 なんとか総研とかそういうところが好きそうな手法やね(「ボキャ天法」):

しかし汚ねえ字だなおい。

ただ、割と面白いのは、そういうエンターテインメント層というのを 呼び込む下支えとして存在してるのが、 エンターテインメントの供給者になったホビー層ってあたりだろうな。

以上、単なる分析的雑感(あるいは雑感的分析)であって、 だから何だってわけでもないけれど、 でもとりあえず、私は最近秋葉にめっきり行かなくなりました、 とは言っておこう。

まとめ:

  • 現在の秋葉における重大な質的変化は、ホビーからエンターテインメントへの転換である
  • ホビー層は、むしろ供給者として生き残っている
  • 俺の字は汚い